ショッキング・ブルー
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ショッキング・ブルー Shocking Blue | |
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基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル | ロック |
活動期間 | 1967年 - 1974年 |
レーベル |
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メンバー |
マリスカ・ヴェレス (Vocal) コーネリス・ファン・ダー・ビーク (Drums) クラーシェ・ヴァン・ダー・ヴァル (Bass) |
Shocking Blue ︵ショッキング・ブルー︶ は1967年~1974年に活動していた、オランダ出身のロックバンドである。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Shocking_Blue_-_Cash_Box_1969.jpg/220px-Shocking_Blue_-_Cash_Box_1969.jpg)
Shocking Blue on the cover of Ca sh Box; November 22, 1969
ロビー・ファン・レーベン︵Robbie van Leeuwen︶がオランダで結成。ヴォーカルのマリスカ・ヴェレスは、途中参加である。
マリスカはハンガリーとドイツのハーフで、父親がジプシー・オーケストラのヴァイオリン奏者であったことから、父とともに幼少の頃から歌を歌ってきており、また、ショッキング・ブルーに加入する前にも、いくつかのバンドでヴォーカルを担当している。
1969年7月に、オランダで、﹁ヴィーナス﹂を発売、1970年2月7日のアメリカの﹁ビルボード︵Billboard︶﹂誌にて、週間ランキング第1位を獲得した。同誌1970年の年間ランキングでは第22位を記録し、ショッキング・ブルー最大のヒット曲となった。また、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーでは週間チャート1位を獲得したものの、オランダでの週間チャート最高位は3位にとどまった。
71年には来日公演を行った。
略歴[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Shocking_Blue_-_Cash_Box_1969.jpg/220px-Shocking_Blue_-_Cash_Box_1969.jpg)
代表作品など[編集]
●センド・ミー・ア・ポストカード ︵1968年。オランダで11位︶ ●明日に向う道 原題‥Long Lonesome Road︵1969年。ビルボード75位、オランダで17位︶ ●ヴィーナス ︵1969年。ビルボード1位、オランダで3位、オリコン2位。日本では1970年春に大ヒットを記録した︶ ●マイティ・ジョー ︵1969年。ビルボード43位、オランダで1位。なお、世界的にはミリオンセラーを記録[1]︶ ●悲しき鉄道員 原題‥Never Marry a Railroad Man︵1970年。ビルボード102位、オランダで1位、オリコン2位。日本では回転数を早めたシングルにより、1970年秋〜冬に大ヒットを記録した︶ ●グッド・サリー ︵1971年。日本でのみシングルカットされた︶ ●悲しき恋心 原題‥Blossom Lady︵1971年。来日記念盤。オランダで2位︶ ●夜明けの太陽 ︵1972年。日本でのみシングルカットされた。原題は﹁I'll follow the sun﹂であるが、ビートルズのそれとは同名異曲である︶ ●アメリカ ︵1974年︶ ●Gonna sing my song ︵1975年。所属レコード会社との契約上の関係から、解散の翌年にリリースされた。日本未発売︶ ●ラヴ・バズ︵ニルヴァーナのカヴァーでも知られる︶ ●ホット・サンド︵ヴィーナスのB面曲。当初、ヴィーナスと両A面の扱いだった︶関連項目[編集]
●バナナラマ - ヴィーナスをカバー。 ●長山洋子 - ヴィーナスをカバー。脚注[編集]
- ^ ウェイン・ジャンシック(著)、加藤秀樹(訳)『Billboardただ1曲のスーパーヒット・2(1968~1984)』音楽之友社、1991年、62頁。ISBN 4-276-23612-6