シンデレラ (バンド)
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シンデレラ | |
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![]() フィンランド・ヘルシンキ公演(2011年) | |
基本情報 | |
出身地 |
![]() ペンシルベニア州フィラデルフィア |
ジャンル |
ハードロック ヘヴィ・メタル グラムメタル LAメタル ブルースロック |
活動期間 | 1983年 - 2014年 |
レーベル | マーキュリー・レコード |
公式サイト | Official Website |
旧メンバー |
トム・キーファー エリック・ブリッティンガム ジェフ・ラバー フレッド・コウリー |
シンデレラ︵Cinderella︶は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。同東海岸のハードロックやグラムメタル︵ヘアメタル︶の分野で活躍したグループの一つ。デビュー・アルバム﹃ナイト・ソングス﹄は、全米だけで300万枚以上のセールスを記録した[1]。
バイオグラフィー[編集]
創設期︵1983年 - 1995年︶[編集]
1983年、リーダーのトム・キーファー︵ボーカル、ギター‥1961年1月ペンシルベニア州生まれ︶と、エリック・ブリッティンガム︵ベース‥1960年5月メリーランド州生まれ︶の2人を中心にフィラデルフィアで結成された[2][3]。さらにマイケル・スメリック︵ギター︶とトニー・デストラ︵ドラム︶が加入した。 1985年、ペンシルベニアのEmpire Rock Clubでジョン・ボン・ジョヴィに見出される。その後スメリックとデストラはBritny Foxに加入するためバンドを離れ、ギタリストに日系アメリカ人のジェフ・ラバーを、ドラムにジム・ドルネクを迎えた。このメンバーで、典型的LAメタルサウンドとブルース要素を折衷した1stアルバム﹃ナイト・ソングス﹄をレコーディングした︵ただしドラムはセッション・ドラマーのジョディ・コルテスによって行われた︶。この時点のキーファーは後年とのスタイルとはほぼ別人のようなハイトーン・ヴォイスを多用しており、楽曲もAC/DCのようなストレートなロックンロール的なものが多かった。レコーディング終了後間もなくドラマーのドルネクが脱退し、Londonのドラマーであるフレッド・コウリーが加入した。やがてアルバムは1986年8月にリリースされ、全米3位、トリプルプラチナムを獲得した。このアルバムのツアーでは、ボン・ジョヴィのSlippery When Wetツアー、及び、ラウドネスのLIGHTNING STRIKESツアーの前座としてプレイした。 前作よりもブルージーさの強まった2ndアルバムの﹃ロング・コールド・ウィンター﹄が1988年にリリース[4]され、14ヶ月に渡る254箇所でのツアーを行った。またこの期間中、ソ連時代のモスクワでMoscow Music Peace Festivalにも出演し、オジー・オズボーン、スコーピオンズ、ボン・ジョヴィらと共演した事で話題になった。 1990年に3rdアルバム﹃ハートブレイク・ステーション﹄がリリースされ、キーファーの趣味が強く反映されたよりブルージーなサウンドに仕上がった。このアルバムのツアーを最後にコウリーは脱退し、元ラットのヴォーカリストだったスティーヴン・パーシーのバンドArcadeに加入した[5]。また、キーファーはこの頃から喉に不調を訴え始め、手術を何度か経験している。1994年、前作よりもさらにブルージーさを追求した4th﹃スティル・クライミング﹄を発表するも翌年活動停止。再始動期︵1996年 - 2014年︶[編集]
1996年に再始動し、翌年から全米をツアーを開始。また、1997年発売のベスト盤﹃ウォー・ストーリーズ〜ベスト・オブ・シンデレラ﹄には未発表曲﹁ウォー・ストーリーズ﹂が収録され[6]、1999年にはライブアルバム﹃Live at the Key Club﹄の2枚のアルバムをリリースしたが、次作の曲を書いている間にレコード会社︵Sony︶との契約を切られてしまった。その後彼らは2000年および2002年に再びツアーを行っている。 エリック・ブリッティンガムとジェフ・ラバーは、ブリッティンガムの妻のバンドであるNaked Beggarsで活動を行った。コウリーも数多くのバンドに参加しており、キーファーはソロ活動を行った。2005年、Mercury Recordsはコンピレーション・アルバム﹃Rocked, Wired & Bluesed: The Greatest Hits﹄をリリースした。 2006年夏まで、ポイズンとともに彼らの1stアルバムリリース20周年を記念したツアーを開催(﹁Night Songs﹂と﹁Look What The Cat Dragged In﹂はともに1986年の発表)。このツアーは2006年の全米音楽興行の中でも比較的成功をおさめ、一夜あたり約2万人のオーディエンスが集結した。 メンバー間に相違があり、2014年頃から活動停止状態になる。後年トム・キーファーは﹃再始動の計画は無い﹄と否定している。その後の動向︵2015年 - ︶[編集]
2021年7月14日、中心メンバーの一人だったギタリストのジェフ・ラバー[7]、およびキーボード担当だったゲイリー・コルベットが同日に死去[8]。スタイル[編集]
トム・キーファーの絞り出すようなボーカルスタイルは、ジャニス・ジョプリンに強く影響されており、実際にジャニスの﹁Move Over﹂をカヴァーしてもいる。また上記のように、トムはブルースに傾倒していたことでも知られており、Long Cold Winter 以降の作品は、ハードロックでありながらブルージーな感覚を醸し出した作風となっている。メンバー[編集]
※2014年時点 ●トム・キーファー (Tom Keifer) - ボーカル / マルチプレイ (1983–2014) ●ジェフ・ラバー (Jeff LaBar) - リードギター (1985–2014) ♰RIP2021 ●エリック・ブリッティンガム (Eric Brittingham) - ベース (1983–2014) ●フレッド・コウリー (Fred Coury) - ドラムス (1986–1991, 1996–2014) サポート- ゲイリー・コルベット (Gary Corbett) - キーボード (1990–1995, 1998–2014) ♰RIP2021
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トム・キーファー(Vo) 2018年
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ジェフ・ラバー(G) 2011年
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エリック・ブリッティンガム(B) 2011年
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フレッド・コウリー(Ds) 2011年
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ゲイリー・コルベット(Key) 2011年
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
- 『ナイト・ソングス』 - Night Songs (1986)
- 『ロング・コールド・ウィンター』 - Long Cold Winter (1988)
- 『ハートブレイク・ステーション』 - Heartbreak Station (1990)
- 『スティル・クライミング』 - Still Climbing (1994)
ライブ・アルバム[編集]
- 『ライヴ・トレイン・トゥ・ハートブレイク・ステーション』 Live Train to Heartbreak Station (1991) ※日本限定発売のEP
- 『ライヴ・アット・ザ・キークラブ』 Live at the Key Club (1999)
- Extended Versions (2006)
- Live/Tokyo Dome - Tokyo, Japan 12/31/1990 (2009)
コンピレーション・アルバム[編集]
- 『ウォー・ストーリーズ〜ベスト・オブ・シンデレラ』 - Once Upon A... (1997)
- Rocked, Wired & Bluesed: The Greatest Hits (2005)
- Gold (2006)
- 『アイコン〜ベスト・オブ・シンデレラ』 - Icon (2012)
脚注[編集]
(一)^ “Gold & Platinum”. RIAA. 2022年8月14日閲覧。
(二)^ Phillips, William (2009). Encyclopedia of heavy metal music. Brian Cogan. Westport, Connecticut: Greenwood Press. ISBN 978-0-313-34801-3. OCLC 475534546
(三)^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “Tales From The Gypsy Road”. HMV&BOOKS online. 2022年3月1日閲覧。
(四)^ コウリーはスティーヴン・アドラーの代役としてサポートを務めていたガンズ・アンド・ローゼズのツアーが重なりレコーディングに参加出来なかった為、コージー・パウエルをゲストに招いている。
(五)^ Daly, Andrew (2021年1月18日). “An Interview with Fred Coury of Cinderella”. VWMUSIC. 2022年8月14日閲覧。
(六)^ Erlewine, Stephen Thomas. “Cinderella - Once Upon A... Album Reviews, Songs & More”. AllMusic. 2022年8月14日閲覧。
(七)^ “シンデレラのギタリストであるジェフ・ラバーが逝去。享年58歳”. NME JAPAN (2021年7月15日). 2021年7月16日閲覧。
(八)^ “キッスやシンデレラのツアーで活躍 キーボード奏者のゲイリー・コルベットが死去”. amass (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。