スバル (文芸雑誌)
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スバル | |
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第1号の表紙、和田英作 画 | |
ジャンル | 文芸雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 昴発行所 |
発行人 | 石川啄木、江南文三 |
刊行期間 | 1909年1月 - 1913年12月 |
﹃スバル﹄は、1909年から1913年までに刊行されたロマン主義的な文芸雑誌である。月刊。通巻60冊。菊判200頁内外。定価30銭。
概要[編集]
文芸雑誌﹁明星﹂の廃刊後、森鷗外や与謝野寛︵鉄幹︶、与謝野晶子らが協力して発行した。創刊号の発行人は石川啄木が務めた。石川、木下杢太郎、高村光太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇らが活躍し、反自然主義的、ロマン主義的な作品を多く掲載し、同人らはスバル派と呼ばれた。﹁パンの会﹂とともに後期ロマン主義を主導した。 発行費用は同人でもあった弁護士の平出修が負担し、発行所も平出の自宅だった[1]。掲載作品[編集]
森鴎外は﹃ヰタ・セクスアリス﹄︵発売禁止になった︶﹃青年﹄﹃雁﹄などを掲載した。 石川啄木は創刊時から1年間にわたり同誌の発行名義人を務めており、その時期に﹃赤痢﹄﹃足跡﹄などの小説も発表したが、﹃足跡﹄は連載第1回が﹃早稲田文学﹄で﹁新らしい︵原文ママ︶作家らしい態度から見ると︵木下︶杢太郎氏や︵与謝野︶晶子氏の方がヅッと進んで居る﹂と評されて続けるのを断念し、﹃葉書﹄に対して雑誌﹃新声﹄で﹁何処といって取柄のない小説で、別に取立てて評する程の価値もなさそうだ﹂と酷評されるなど、小説家としての評価を得ることはできなかった[2]。脚注[編集]
外部リンク[編集]
- スバルにおける 「椋鳥通信」 - 山口徹、早稲田大学教育学部学術研究第53号、2005年
- 三秀舎と文芸雑誌「スバル」