ダマン・ディーウ連邦直轄領
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/83/Karta_diu_daman.jpg)
ダマン・ディーウ連邦直轄領︵ダマン・ディーウれんぽうちょっかつりょう、Daman and Diu, દમણ અને દીવ, दमन और दीव︶は、インドにかつて存在した連邦政府直轄領。アラビア海に面したダマンとディーウからなっていた。面積は112平方キロメートル、直近の人口は243,247人︵2011年︶だった[1]。
歴史[編集]
グジャラート・スルタン国領[編集]
ダマンとディーウ両都市とも16世紀中頃まではムザッファル朝グジャラート・スルターン朝の領地であった。ポルトガル領[編集]
詳細は「ポルトガル・マムルーク海上戦争」および「ディーウ沖海戦」を参照
ディーウは1535年にポルトガル領となる。ディーウ自体は長さ10km程度の島であり、ポルトガルの要塞として使われた。なお、その対岸にある2つの村もポルトガル領ディーウの一部とされていた。1558年にポルトガル領となったのちは木材などの積出港、貿易拠点として栄える。ポルトガルはインドを最初に植民地化した西洋国だが、インド内陸部を支配する能力、動機とも備えておらず、交易の拠点となる商館を維持する政策を取った。最盛期にはインド西岸、南岸を中心に13都市を支配している。なお、18世紀後半からは内陸部のダードラー及びナガル・ハヴェーリーもポルトガル領ダマンの一部とされた︵ただし、面積・人口ともダマン自体より大きい︶。
その後20世紀中頃まではゴアと共にポルトガル領インドを構成していた。第二次世界大戦終結後、インドの独立を経ても、1961年までポルトガル領として留まった。