チェルシーの朝
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「チェルシーの朝」 | |||||||||||||
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ジョニ・ミッチェルの楽曲 | |||||||||||||
収録アルバム | 『青春の光と影』 | ||||||||||||
リリース | 1969年5月[1] | ||||||||||||
録音 | ロサンゼルス、A&Mスタジオ | ||||||||||||
ジャンル | フォークロック | ||||||||||||
時間 | 2分35秒 | ||||||||||||
レーベル | リプリーズ・レコード | ||||||||||||
作詞者 | ジョニ・ミッチェル | ||||||||||||
作曲者 | ジョニ・ミッチェル | ||||||||||||
プロデュース | ジョニ・ミッチェル[1] | ||||||||||||
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﹁チェルシーの朝﹂︵Chelsea Morning︶は、カナダのシンガーソングライター、ジョニ・ミッチェルが作詞作曲した楽曲。ミッチェル自身のバージョンは1969年に発表された。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Chelsea1217.JPG/270px-Chelsea1217.JPG)
チェルシーの街並み︵ニューヨーク市︶
本作品は1967年にはすでに書き上げられていた。フォーク歌手のデイヴ・ヴァン・ロンクが同年に発表したアルバム﹃Dave Van Ronk and the Hudson Dusters﹄に収録されている。
翌1968年6月、フェアポート・コンヴェンションのデビュー・アルバム﹃Fairport Convention﹄に収録される。また同じ年に発表されたジェニファー・ウォーンズのデビュー・アルバム﹃I Can See Everything﹄にも収録された。
1969年4月、ジュディ・コリンズがシングルとして発表。コリンズのバージョンはビルボードのイージーリスニング・チャートで25位を記録。ビルボード・Hot 100では78位を記録した[2]。
ここでようやくミッチェル自身が吹き込んだレコードが発表される。同年5月発売のセカンド・アルバム﹃青春の光と影﹄に収録された。
グリーン・ライト・サンデーのシングル︵1970年︶とセルジオ・メンデス&ブラジル'66のシングル︵1970年︶が、ビルボードのイージーリスニング・チャートでそれぞれ4位、21位を記録している。
概要[編集]
備考[編集]
●1965年、﹁ジョニ・アンダーソン﹂という名前で活動していたジョニはトロントでチャック・ミッチェルというアメリカ人のフォーク・シンガーと出会い、結婚する。デトロイトで音楽活動を続けるが二人は1967年に初めに離婚。そこから彼女が移り住んだのが、ニューヨーク市マンハッタン区の南西部に位置するチェルシーだった[3]。 ●元アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンとヒラリー・クリントン夫妻の一人娘であるチェルシー・クリントン︵1980年生まれ︶の名前は本作品に由来する。ヒラリーによれば、1969年にコリンズの歌う﹁チェルシーの朝﹂を聴いたときビル・クリントンはこう言ったという。﹁もし我々に娘ができたら名前はチェルシーにしよう﹂[4][5][6]脚注[編集]
- ^ a b Joni Mitchell - Clouds
- ^ Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF AUGUST 23, 1969
- ^ Chelsea Morning by Joni Mitchell Songfacts
- ^ Clinton, Hillary Rodham (2003). Living History. Simon and Schuster. pp. 84–5, 91, 93. ISBN 0-7432-4582-2
- ^ Mani, Bonnie G. (2007). Women, power, and political change. Lexington Books. p. 218
- ^ “The Inauguration: Shedding Light on a Morning and a Name”. The New York Times. (1993年1月19日) 2016年5月14日閲覧。