ノート:イコノクラスム
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Wikipedia:迷子のリダイレクト(イコノクラスム)になっているので、ひとまず作りました。加筆・訂正お願いします。--忠太 2005年2月8日 (火) 15:24 (UTC)
改名提案[編集]
聖像破壊運動というのは、イコン、聖像を崇敬する側の表現に近いものであり、イコンを崇敬する側の認識では、聖像を破壊されてしまったわけです。しかし、イコンを崇敬しない側の認識からすれば、崇敬する側の定義するイコンを破壊したのではなくて、偶像を破壊したわけです。とはいえ項目名を偶像破壊運動とすれば、やはり一方の側に偏るでしょう。より中立的なイコノクラスムのカタカナ音写への改名を提案します。--イザヤ 2011年1月20日 (木) 08:24 (UTC)
コメント その問題意識で行きますと、そもそも﹁イコン﹂なるものは存在しない、もしくは﹁イコンと呼ばれているものは偶像である﹂と考えるのが破壊側の論理ではないのですか?もしイザヤさんが﹁イコノクラスム﹂の方であればまだしも納得出来ると仰るのならば、それほど強く反対するものではないのですが、意図するところは達成されないようにも思います。﹁聖﹂か﹁偶﹂かの違いにPOVがより強く反映されている、とイザヤさんは認識していらっしゃるという解釈で宜しいでしょうか?--Kinno Angel 2011年1月20日 (木) 10:39 (UTC)
コメント 例えば廃仏毀釈についてですが、仏教徒からみれば﹁仏﹂﹁釈﹂は尊いものとされる訳ですが、破壊した側からみれば全く尊いものではないでしょう。だからと言って記事名がPOVかというと、そうではないと思うのですが。
ただ繰り返しますが、﹁聖﹂の字が使われている事にPOVを感じる、という御意見でしたら、そしてイザヤさんが﹁イコン﹂という言葉に抵抗を感じられないのであれば、﹁イコノクラスム﹂でも当方全く構いません。
上の通り、私のコメント二つをお読み頂いても﹁イコノクラスムの方がマシである﹂とお考えでしょうか。もしそうお考えでいらっしゃるとのコメントが頂ければ、コメントを確認した後で賛成票を投じさせて頂きます。--Kinno Angel 2011年1月20日 (木) 11:08 (UTC)
一つ目のコメントの破壊側の論理ですが、当時破壊した側の文献は残っていないそうなので、当時の論理はわかりませんが、理由はいくつもあったでしょう。聖像、偶像の語ですが、私の上記の記述はイコノクラスムがキリスト教内部であった論争だということを前提に書いたものです。時代的にもen:Byzantine Iconoclasmから第2ニカイア公会議までがもとの話でしょう。
偶像礼拝と訳されるギリシャ語のεἰδωλολατρίαの偶像の語は像だけを指すのではありませんが、日本語で聖像は像を指すものとし、聖画は絵を指して区別することがあります。ローマ・カトリックは聖画像両方を認めているのに対し、正教は聖画を認めるが聖像については否定的な見解があると説明している本があったのですが︵昔の友人が持っていた本で題名はわかりません︶、聖像破壊運動とすると、聖像という意味で指すものに物体としては狭義の意味があるにも関わらず、宗教的には他の宗教を含めた広い意味を持ってしまう可能性があるでしょう。意味で考えると項目名としても不正確ではないでしょうか。現状、この項目には﹁イスラム教の聖像破壊運動﹂と題する節もあります。最近のものではバーミヤンの事件がありますが、バーミヤンで破壊された物体は、イコンを崇敬する側の定義でも﹁イコン﹂とは呼ばないものではないですか。また、イコノクラスムの訳語には﹁因習打破﹂というのもありますが、これはもとのキリスト教内部の論争から離れて、完全に派生したものです。
二つ目のコメントで廃仏毀釈を例にあげておられますが、その場合は日本という地域のある時代において起こったことがもとの意味でしょう。その項目は元の意味と項目の内容が一致しており、破壊した側も、破壊された側も特に用語の違いはなく、派生した用語が各国で使われているということはないと思います。もとはキリスト教用語であったものは、国によっては今もキリスト教用語としてメインに使われているのに対し、ある国では派生した用語や批判的な学者の説が多くあるということが言えるでしょう。国によって違うとしても、多言語リンクはもとの語にあわせられるべきです。これはキリスト教に限らずたとえばサンスクリット由来の仏教用語であれば、サンスクリット語にあわせられるべきでしょう。
ゲオルギオスの日の議論でも、多言語リンクはもとのギリシャ語にあわせて、他の派生は項目を別に立てるという話に落ち着きました。︵提案を出しながらKinno Angel さんにまかせきりにしてしまいました。作業してくださってありがとうございました。︶ この項目はイコノクラスムがもとのキリスト教用語なので、イコノクラスムの語を多言語リンクし、派生したものについては、別に項目を作っていくことを考えています。イコノクラスムを否定するにしても肯定するにしても、キリスト教の内部で﹁○○の教会や教派は異教の偶像崇拝を取り入れた。﹂と批判することと、ある種類の学問的立場から﹁キリスト教そのものが異教との混合によって成立した﹂と主張することは全然別物です。イコノクラスムの語は多言語リンクする上でも、もとの意味が反映されていることでもよい点があります。--イザヤ 2011年1月21日 (金) 17:22 (UTC)
﹁イコノクラスム﹂への改名に 賛成
イザヤさん
まず細かい指摘からさせて頂きますね。
﹁正教会は聖画を認めるが聖像を認めない﹂についてですが、まず﹁聖画﹂と﹁聖像﹂の術語区分が正教会にありません。パニヒダ台には多く立体像が見られます。正教会も立体像を全否定している訳ではありません。
ただし相対的に、立体像は避けられ、平面像が好まれる大きな傾向はある、という事は出来ます︵多分、正教会の聖堂内部を御覧になったことがあればそれは実感としてお分かりかと存じます︶。
サンスクリット語の扱いについては︵自分で例示しておいて恐縮ですがm︵_ _‥︶m︶措かせて頂きます。
さて、以上の細かいところはともかく、﹁イコノクラスム﹂の記事名としての適切性については大きな説得力を感じました。改名に賛成します。--Kinno Angel 2011年1月22日 (土) 05:07 (UTC)
冒頭文大幅修正[編集]
この修正につき報告申し上げます。今まで気付かなかったのが悔やまれるほどなのですが…
●IPさんによるこの加筆が従前の冒頭文を構成していたのですが、独自研究、よくて中立的観点の問題だらけでした。出典もありませんでしたのでそれだけを理由に大幅改稿しても良かったのですが、一応編集意図を説明申し上げます。
●まず﹁聖像=偶像﹂という安易な定義が前提になっています。そういう見解も無いではありませんが、それは﹁聖像=偶像﹂と捉える宗教的観念の持ち主や、杜撰な分類で満足する門外漢によるものであって、特定の見解に偏向する記述でしかありません。
●﹁聖像=偶像﹂だと日本人大多数には理解し難いでしょうし﹁どうせ同じものだろw﹂扱いもされがちですから別の例を出しますが、例えば﹁仏像=偶像﹂﹁神体=偶像﹂という前提で書かれた記述が、仏教・神道系の記事本文に存在し得るでしょうか?ここまでの杜撰な見解は、信仰の有無には関係なく宗教学的な見地からみても、百科事典には許されません。
●第二段落に至っては独自研究的な見解が出典無くごちゃまぜに記述されていました。申し訳ありませんが全削除させて頂きました︵個人的にはフランス革命におけるイコノクラスムという視点は面白いと思いますが、出典無く﹁イコノクラスム﹂に分類するのは躊躇われて然るべきです︶。
●以上の理由から出典をつけて冒頭文を緊急対処しておきました。今後、時間が出来ましたら、記事イコンと併せて、大幅に改善することを企図しています。以上、編集報告まで。--Kinno Angel 2012年1月11日 (水) 19:42 (UTC)