ノート:トーマス・マン
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三島由紀夫がトーマス・マンを愛好した根拠となるアンケート回答について、﹁小倉紀藏﹃韓国のしくみ ︿理﹀と︿気﹀で読み解く文化と社会﹄講談社現代新書1536、2001年。p.148。﹂が挙げられていましたが、不適当と考えますので削除します。三島のアンケート回答は﹃三島由紀夫全集﹄を見れば分かることですし、三島ともマンとも直接関係ない文献をここで挙げるのは不見識でしょう。2007.11.9 三浦淳
●記憶に従い、﹁1940年開始の三笠書房版全集が中断した﹂と書きこみました。ネット検索で、国会図書館にも古書市場にも、1、2、8、9、12巻しかなく、当時の僕の書棚と同じです。平行した﹁ヘルマン・ヘッセ﹂全集と﹁ハンス・カロッサ﹂全集は完結しました。実吉捷郎先生には、旧制高校でドイツ語を教わりました。先生は、﹁マンへの傾倒を反省する﹂旨の一文を書かされました。Hinonbey 2009年3月25日 (水) 05:06 (UTC)
﹃* テオドール・フォンターネ︵Theodor Fontane, 1928年︶﹄は、選集への序文だそうです︵新潮社版全集別巻、p.547︶。邦訳もないようですし……。消しました。Hinonbey 2009年4月15日 (水) 07:51 (UTC)
差し戻しについて[編集]
すいませんが、この編集に不可解な部分が多数あったため改悪とみなし差し戻しました︵意志を尊重しできるだけ新規加筆部分を組み込むようにしましたが︶。まず冒頭の部分ですが、重複しているのではなくこれは記事の概要をまとめているのです。記事冒頭で本文の要約を行なうことは推奨されています︵Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)︶。また﹁時制・文体の整理﹂をされたとのことですが、﹁・・・した。・・・した。・・・した。﹂と、まるで年譜の文章をそのまま書き連ねただけであるかのような非常に単調な文になっており、はっきり申しまして文章として質の低いものになってしまっています。なぜ既存の文章を完全無視してこのような文に書き改められたのかわかりませんが、あるいはもとの文章に﹁・・・する﹂と﹁・・・した﹂が混ざっていたのが気になったのでしょうか。英語やドイツ語の時制の一致じゃあるまいし日本語でそんなことする必要はありません。ためしにyahoo百科事典のトーマス・マンの項目をご覧になってください。現在形と過去形混ぜ書きです。
また外語表記や外国版へのリンクは最低限必要なものに限ってください。ベルリン芸術アカデミーだとか通っていたギムナジウムだとかの外語表記や外国版記事がこの人物を理解するのにどうしても必要でしょうか? 無闇に外語表記を挿入すると日本語の文章として可読性が損なわれます。書きたい事項を片っ端から詰め込むのではなく、文章の流れや最低限の見栄えに気を配り情報の取捨選択を行なってください。作品一覧にも全集の何巻に収録されているかなんて注記する必要は無いでしょう。全集なんだからどこかの巻に収録されているのに決まってますし、第一ごちゃごちゃして見づらいです。図書館のリファレンスじゃないんですから。
別に記事の先有権を主張するつもりはありませんが、ハンドブック一冊をもとにしたものとは言えそれなりに完成度の高い記事を目指したつもりです。努力を頭から否定されてしまったようで非常に残念に感じています。--Meridian 2009年4月15日 (水) 10:07 (UTC)