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ノート:上大河駅

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立てました

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立項しました。「全国一の赤字線」に転落していた国鉄宇品線が1966年以降、1972年まで旅客営業を維持していたのは、上大河駅の需要を考慮したためである(上大河より先の駅(旅客営業)は廃止され、残された他の駅も大須口駅は信号所に格下げされ、南段原駅は時間帯によっては通過)ことは明らかで、そのぶん宇品線の中での上大河駅の比重の大きさがうかがわれるのですが、現状で記念物も設置されていない?ためか、あまり宇品線の関連サイト(サイト自体は結構多いのですが)でも言及されることが少ないようです。往事の駅の姿を(とはいえもうあまり定かではない記憶ですが)知る者としては、そのような状況をかねがね残念に思っていましたので、手元にあるだけの文献を頼りに記事のたたき台を作成しました。しかし私は鉄道関係の専門用語に疎く、その上参考文献などのソースが限定され、駅の位置など一部は私の記憶(広島に現住していないのでかなり曖昧です)に基づく部分もありますので、事実誤認や加筆が必要な箇所が多々あると思います。みなさんの加筆編集をお願いします。--Straysheep会話2012年7月22日 (日) 09:46 (UTC)[返信]

踏切の名称について

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2223992--Straysheep 2012725 () 12:35 (UTC)[]

上大河駅(2代目)は比治山駅の改称・再開ではありません

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92201221645

1947320稿194319434便2194696稿--Lichenes 20171221 () 01:17 (UTC)[]

:/1#3使稿--Taisyo 20171221 () 03:43 (UTC)[]

稿:稿調--Lichenes 20171223 () 00:53 (UTC)[]