パオロ・ディ・カーニオ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Paolo Di Canio | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1968年7月9日(55歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW(ST) | |||||
利き足 | 右 | |||||
代表歴 | ||||||
1988-1990 | イタリア U-21 | 9 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
2011-2013 | スウィンドン・タウンFC | |||||
2013 | サンダーランドAFC | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パオロ・ディ・カーニオ︵Paolo Di Canio、1968年7月9日 - ︶は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手︵FW︶、サッカー指導者。
経歴[編集]
1985年にラツィオとプロ契約を結び、1988年ラツィオでセリエAデビューを果たし[1]、テルナーナへのレンタル移籍を挟んで1990年まで在籍。 1990年にはユヴェントスへ移籍[1]、完全にレギュラーを掴んだ訳ではなかったが、ある程度の出場機会を得ていた[2]。ラツィオではウイングとしてプレーしていたが、当初は主にセカンドストライカーとして起用された[3]。1992年の夏には、相手DFたちとのマッチアップに勝つため、肉体改造に励み、筋肉をつけた[3]。1992-93シーズン、先発起用されることも増え、ユヴェントスに在籍した3シーズンで最多の、リーグ戦31試合に出場した[3]。このシーズン、チームはUEFAカップの優勝を成し遂げたが、決勝のボルシア・ドルトムント戦では、僅かな出場時間を得ただけに終わった[3]。シーズン終了後、自ら移籍を志願し、1993-94シーズンはSSCナポリにレンタル移籍した[3]。ナポリではウイングやセカンドストライカーとしてプレー、1994年3月27日のACミラン戦で優れたゴールを決めるなどの活躍を見せ、良いシーズンを過ごした[3]。 1994-95シーズンからの2シーズンはACミランでプレー、出場機会は多くなかったが、出場した時には良いパフォーマンスを披露した[3]。1994-95シーズンは、リーグ戦15試合で1ゴールに終わった[3]。シーズン終了後の極東ツアーでは、ベンチスタートになったことに腹を立て、ファビオ・カペッロと口論になったこともあった[3]。1995-96シーズン、22試合5得点の活躍で[2]、セリエA優勝に貢献した[3]。 1996年にセルティックへ移籍、26試合12ゴールの活躍でファンの心を掴んだ[1]、がその後トラブルで退団した[1]。 その後は、シェフールド・ウェンズデイへ移籍し、プレミアリーグで12得点の活躍を見せた[1]。 1999-2000シーズンから4シーズンウェストハムに在籍し、1999-00年シーズンは16ゴール[2]、2000-2001年シーズンは10ゴールの活躍を見せるなど[2]、チームを支えた。在籍時の2001年にFIFAフェアプレー賞を受賞している[1]。2002年にはマンチェスター・ユナイテッドからオファーを受けた[1]。 2004-05シーズンからは、再びラツィオに復帰を果たす。 2006年、ラツィオとの契約を終えた後、4部リーグにあたるセリエC2のチスコ・ローマで2年間プレー。2007-08シーズンを最後に現役を引退した[1]。 2011年5月23日、イングランド・フットボールリーグ2︵4部相当︶のスウィンドン・タウンFC監督に就任。2013年3月31日にサンダーランドAFCと2年半契約を結び、同クラブのプレミアリーグ残留に貢献したが、9月22日に契約を解除した。フェアプレー賞[編集]
2000年12月16日のエヴァートン対ウェストハム戦。 1-1で迎えた後半ロスタイム。カヌーテとの1対1の場面で飛び出したエヴァートンGKのジェラードが、カヌーテと交錯して足を負傷[4]。そのままプレーが続けられ、ボールを拾ったシンクレアからのクロスは、無人のゴール前でフリーになっていたディ・カーニオにコントロールされるが、ディ・カーニオはシュートを打つことなく、そのボールを手でキャッチしてプレーを切り、ジェラードの治療を優先させた[4]。試合は1-1のドローに終わったが、メディアやファンはこのディ・カーニオの選択を賞賛し、このプレーにより翌年にFIFAフェアプレー大賞を受賞した。選手経歴[編集]
ラツィオ 1985-1990 ●→ テルナーナ 1986-1987︵レンタル移籍︶ ユヴェントス 1990-1993 ナポリ 1993-1994 ACミラン 1994-1996 セルティック 1996-1997 シェフィールド・ウェンズデイ 1997-1999 ウェストハム・ユナイテッド 1999-2003 チャールトン・アスレティック 2003-2004 ラツィオ 2004-2006 ASチスコ・ローマ 2006-2008指導者歴[編集]
スウィンドン・タウンFC‥監督 2011-2013 サンダーランドAFC‥監督 2013その他[編集]
●試合中パフォーマンスとして度々ナチス式敬礼をし、非難されたが、彼は古代ローマ式敬礼と主張している[5]。 シェフィールドウェンズデイ時代にはレッドカードの判定に憤慨し、レフェリーを押し倒して3ヶ月の出場停止処分を受けた。出典[編集]
- ^ a b c d e f g h Paolo Di Canio factfile-Sky Sports 2013年9月23日
- ^ a b c d Di Canio, Paolo-tuttocalciatori.net
- ^ a b c d e f g h i j “Il Di Canio meno noto: le esperienze con Juventus, Napoli e Milan”. GOAL (2020年1月9日). 2023年9月3日閲覧。
- ^ a b “No.346 パウロ・ディカニオ「決勝点を捨てた哲学」”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (2001年1月15日). 2013年9月21日閲覧。
- ^ Nazi deportees speak to Di Canio
外部リンク[編集]
- weltfussball.de(英語)