ヒマラヤ美術館
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ヒマラヤ美術館 とは、かつて愛知県名古屋市中村区太閤1-23-1に存在した美術館。ヒマラヤ製菓が運営していた。
概況[編集]
ヒマラヤ製菓の創業者・津田弘は、長年にわたり絵画をコレクションしており、これを元に設立。﹁ヒマラヤセンター﹂の2階・3階がヒマラヤ美術館、1階はケーキ販売店舗と喫茶室であった。 玄関先の野外には、サモトラケのニケ像が展示してあった。杉本健吉展示室[1]、三岸節子作品室[2]︶、近代日本洋画室の展示室を設置して、最盛期の総点数は200点近くにのぼった。 2002年︵平成14年︶12月、洋菓子店所有と財団法人所有の作品の管理が一体化していたため、財団法人所蔵の作品も洋菓子店の借金の担保とされ、担保流れとなった結果、持ち去られ売却されていることが判明。三岸節子の﹃ヴェネチア﹄等、有名な絵画が流出してしまった。このことをきっかけに閉館された[3]。 財団法人が提出した財産目録によると、2001年︵平成13年︶3月には約70点・帳簿上で約2億3578万円相当の美術品があったが、2002年︵平成14年︶3月には18点、約1125万円となっていることが、2002年︵平成14年︶12月18日愛知県教育委員会の発表により明らかになる[4]。 運営母体のヒマラヤ製菓は2004年︵平成16年︶1月29日に自己破産。株式会社ムッターハムに買収されることにより再開されたが、同社が親会社の株式会社フジチクとともに牛肉偽装事件を起こし、同年11月22日に自己破産。所蔵作家・作品[編集]
●三岸好太郎 - ﹃少年﹄︵1931年頃作品︶、﹃三人﹄︵1933年作品︶ ●三岸節子 - ﹃室内﹄︵同題2作、1936、1940年頃作品︶、﹃静物﹄︵1953年作品︶、﹃囚﹄︵1960年作品︶、﹃二つの壺﹄︵1962年作品︶、﹃太陽賛︵Ⅱ︶﹄︵1965年作品︶、﹃群がる鳥﹄︵1966年作品︶、﹃永久花﹄︵1967年作品︶、﹃カーニュの赤い階段﹄︵1969年作品︶、﹃飛ぶ鳥﹄︵1973年作品︶、﹃ヴェネチア'73﹄︵1973年作品︶、﹃花︵3︶﹄︵1973年作品︶、﹃ブルゴーニュの一本の木﹄︵1973年作品︶[5][6] ●杉本健吉 - ﹃西の京﹄ ●岸田劉生 ●梅原龍三郎 - ﹃裸婦﹄ ●鬼頭鍋三郎 - ﹃二人のバレリーナ﹄ ●その他、愛知県出身の画家。略歴[編集]
●1977年︵昭和52年︶3月 - 開館。 ●1983年︵昭和58年︶ - 財団法人化。 ●4月26日 財団法人ヒマラヤ博物館が、愛知県博物館協会に加盟する[7]。 ●2002年︵平成14年︶12月末 - 閉館。 ●愛知県博物館協会の退会は、資料記述によると同年11月12~13日[7]。関連[編集]
●ヒマラヤ製菓その他[編集]
建物は閉館後数年間は残っていた︵﹃名古屋発 レトロを訪ねて2〜Retropolitan Journey〜﹄ 名古屋市中村区太閤 栄へ、そして再び駅西へ 2006/03/05︵日︶︶。 2021年︵令和3年︶現在は既に解体され、跡地は専門学校のグラウンドになっている。脚注[編集]
- ^ 杉本健吉 - 車木工房 によると、1977年の美術館開館とともに設置
- ^ 画家・三岸節子 - 三岸美術館 によると、1977年の美術館開館とともに設置
- ^ 特別講座「美術館は静かにどこへ向かうのか」第1回「美術館の閉館は誰の問題なのか?」 - 美学校 2015年1月25日 記事中にある講演会資料 閉館した美術館2015.1.6
- ^ ヒマラヤ美術館閉鎖へ/三岸節子らの作品流失 - 2002年12月18日 四国新聞記事
- ^ 三岸節子『花こそわが命 三岸節子自選画文集』求龍堂、p.Ⅰ-Ⅳ
- ^ 三岸節子『三岸節子作品集』ビジョン企画出版社、p.23-51
- ^ a b 愛知県博物館協会40年史
外部リンク[編集]
- ヒマラヤ美術館 - ヒマラヤのページ (ヒマラヤ製菓公式) - Internet Archive 2001年2月5日 記録