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フランシスコ・デ・ビトリア

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フランシスコ・デ・ビトリア / サラマンカ大学サン・エステバン神学院前の像

フランシスコ・デ・ビトリア(Francisco de Vitoria, Francisco de Arcaya y Compludo, バスク語: Frantzisko Vitoria, Frantzisko Gasteizkoa, ラテン語: Franciscus de Vitoria, Francisci de Vitoria / 1492年頃 – 1546年8月12日)はルネサンス期スペインにおけるカトリック神学者哲学者法学者である。

いわゆる「サラマンカ学派」(ドミニコ会学派)の始祖として知られ、特に正戦論国際法学への貢献によって「国際法の父」とみなされている。

略歴

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 (Burgos)148314851506151212152215231526

1152715391545

業績

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出生地とされるビトリア=ガステイス市のビトリアの立像

サラマンカ学派の形成

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使調15281540151216

経済理論

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1534年10月「トマスの道徳体系」関する講義を開始したビトリアは、翌1535年3月から4月にはトマスの徴利論(利子徴収の是非をめぐる議論)に関する講義を行った。これはサラマンカ学派の経済理論の端緒とされており、彼の後継者たるドミンゴ・デ・ソトやマルティン・デ・アスピルクエタらによって引き継がれ、「公正価格論」「貨幣数量説」として特徴づけられる理論へと発展を遂げることになった。

インディオ問題と国際法理論

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1533153921 (De Indis) 6 (De Jure belli)14936

[]

著作

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ビトリアは生前には著作を公刊しておらず、学生によって記された講義録の集成『神学再講義』 (Relectiones Theologicae) が死後刊行された。この講義録は1557年リヨン版に始まって1665年マドリッド版に至るまで17の異なる版が刊行されている。

人物・エピソード

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1500

参考文献

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 6︿ 1993 ISBN 4-00-003636-X



  1965

  1981

  2009 ISBN 978-4-8158-0612-5



  ()11(2019)pp. 33-50

 西(西) 12(2020)pp. 93-110

  212009pp.15-29



   1998

   2000

  IV 2009

関連項目

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脚注

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外部リンク

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