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ベニントンの戦い

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ベニントンの戦い

ベニントンの戦い記念碑
戦争アメリカ独立戦争
年月日1777年8月16日
場所バーモント共和国ベニントンに近いニューヨーク植民地
結果:大陸軍の決定的勝利
交戦勢力
バーモント、ニューハンプシャー愛国者軍民兵 イギリス軍、ドイツ人傭兵部隊
指導者・指揮官
ジョン・スターク フリードリッヒ・バウム
戦力
2,000 1,250
損害
死者40、傷者30 死者207、捕虜700
アメリカ独立戦争

: Battle of Bennington17778162,0001,250

背景

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1777132

800400

8131,500西4 (6 km)

戦闘

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816退2


結果

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ベニントンの戦いでのイギリス軍の損失は、バウム中佐を含め200名が戦死、捕虜700名と記録された。愛国者軍の損失は戦死40名、負傷40名であった。バウムの敗因は、バウム自身に実戦の経験が乏しく、陣形の取り方が散開していたために、互いの連絡が取りづらかったことによっていた。反対にスタークは数々の戦闘を経験したつわものであり、相手の陣形を見極めてその弱点を衝いた。バウムの援軍を率いたフォン・ブライマンは、バウムとの仲が悪くわざと到着を遅らせたという説もある。(Friedrich Baumを参照)

スタークが、敵がベニントンに着く前にこれを遮り破壊したことが決め手となり、イギリス軍は物資に乏しいまま最終的にはサラトガの戦いの後でバーゴインの降伏ということになった。

ベニントンでの愛国者軍の勝利はその士気を奮い立たせ、フランスがアメリカ側で参戦する引き金にもなった。

今日、ベニントンの住人はこの日をベニントンの戦いの日と呼んで祝っている。アメリカでも最古と言われる大砲、その名もモーリー・スターク砲で祝砲を放つ。

8月16日はバーモント州の祝日でもある。オールド・ベニントンには高さ306フィート (93 m)の記念碑が立っている。

関連項目

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参考文献

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外部リンク

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