出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![曖昧さ回避](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Disambig_gray.svg/25px-Disambig_gray.svg.png) |
この項目では、企業について説明しています。その他の東芝、Toshibaについては「東芝 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
国産一号機の冷蔵庫、洗濯機、掃除機 (東芝科学館)
第16代東芝社長佐々木則夫(左)は内閣総理大臣安倍晋三(右)から任命され内閣府経済財政諮問会議議員を務めた
代[117] |
氏名 |
在任期間
|
初代 |
山口喜三郎(やまぐちきさぶろう)[118] |
1939年9月 - 1943年6月
|
2代 |
津守豊治[119] |
1943年6月 - 1947年3月
|
3代 |
新開廣作(広作)[119] |
1947年3月 - 1949年4月
|
4代 |
石坂泰三[120] |
1949年4月 - 1957年11月
|
5代 |
岩下文雄[121] |
1957年11月 - 1965年5月
|
6代 |
土光敏夫[120] |
1965年5月 - 1972年8月
|
7代 |
玉置敬三 |
1972年8月 - 1976年
|
8代 |
岩田弐夫(いわたかずお)[122] |
1976年 - 1980年
|
9代 |
佐波正一 |
1980年 - 1986年4月
|
10代 |
渡里杉一郎(わたりすぎいちろう)[123] |
1986年4月 - 1987年7月
|
11代 |
青井舒一 |
1987年7月 - 1992年6月
|
12代 |
佐藤文夫[124] |
1992年6月 - 1996年6月
|
13代 |
西室泰三 |
1996年6月 - 2000年6月
|
14代 |
岡村正 |
2000年6月 - 2005年6月
|
15代 |
西田厚聰 |
2005年6月 - 2009年6月
|
16代 |
佐々木則夫 |
2009年6月 - 2013年6月
|
17代 |
田中久雄 |
2013年6月 - 2015年7月
|
18代 |
室町正志[注 3] |
2015年7月 - 2016年6月
|
19代 |
綱川智 |
2016年6月 - 2020年3月
|
20代 |
車谷暢昭[注 4][125] |
2020年4月 - 2021年4月
|
21代 |
綱川智(再任)[注 5] |
2021年4月 - 2022年2月
|
22代
|
島田太郎
|
2022年3月 -
|
川崎事業所︵神奈川県川崎市幸区堀川町︶
●1908年、神奈川県橘樹郡御幸村に東京電気川崎工場として操業開始。1945年に堀川町工場と改称。戦前はタングステンランプ、戦後はブラウン管、半導体製造の拠点として機能していた[136]。1998年に川崎事業所と改称。1999年9月に生産を終了し、翌2000年に閉鎖。
●東京・芝浦の東芝ビルディングへの本社移転後も2000年の閉鎖まで堀川町を登記上の本店としていた[126]。東芝︵旧・東京芝浦電気︶の本社機能もここに置かれていた。
●跡地は三井不動産との共同開発によりラゾーナ川崎となり[137]、ラゾーナ川崎東芝ビルが建設されて川崎本社事務所が入居した[2]。現在でもラゾーナ川崎の敷地内に、堀川町工場の看板、消火用ポンプ、﹁東芝ブラウン管発祥の地﹂の碑などのモニュメントが残されている。
柳町工場︵神奈川県川崎市幸区柳町︶
●1936年に操業開始。郵便物宛名自動読取区分機や自動改札装置等の自動化省力機器、電力計等を生産していた[138]。2005年に閉鎖[138]。跡地はキヤノン川崎事業所[139] となっている。
日野工場/日野モバイル工場︵東京都日野市旭が丘︶
●スマートフォンを含む携帯電話全般の設計を行っていた。2009年10月までは携帯電話の製造も行っていた。携帯電話事業の移管に伴い、2010年10月に閉鎖。
●跡地は三井不動産へ売却され[140]、三井不動産の物流施設﹁MFLP日野﹂[141] となっている。
青梅事業所外観︵西東京工業団地内︶
青梅事業所︵東京都青梅市末広町︶
●1968年に開設。旧称﹁青梅工場﹂。西東京工業団地内に立地していた。
●OA機器や産業用機器を開発・製造する工場として機能し、古くはワープロ、OAシスコン、OCR、郵便番号別分類装置等の生産拠点であった。その後は主に、PC&ネットワーク社およびデジタルメディアネットワーク社、モバイルコミュニケーション社などのノートPC、携帯型音楽プレーヤーなどのモバイル機器、HDDの設計/製造、DVD&HDDレコーダや液晶テレビ、ネットワーク端末ほか各種デジタル家電などの開発拠点となっていた。モバイル機器においては歴代の大型・小型機器で培った専用LSIの開発とLSI実装技術開発も行っていた。日野工場の閉鎖に伴い、東芝製携帯電話端末の修理・サポートを受け持つモバイル事業統括部が設置されていた。
●青梅デジタルメディア工場、モバイルコミュニケーションデベロップメントセンター、コアテクノロジーセンター、PC開発センターを併設していた。
●パソコン事業などは子会社の東芝クライアントソリューション株式会社に移管されている。
●2016年︵平成28年︶12月に敷地を野村不動産へ売却し[142]、翌2017年3月末に閉鎖。跡地は野村不動産が高機能型物流施設﹁Landport青梅I﹂として再開発し、日野自動車の部品センターとして2018年11月竣工予定と発表[143]。2019年5月に日野自動車が隣接する﹁青梅部品センター﹂を同地へ移転し﹁日野グローバルパーツセンター﹂として稼働開始した[144]。
北九州工場︵福岡県北九州市小倉北区︶
●1920年に東京電気小倉工場として操業し白熱電球の生産を始める。高度成長期にはトランジスターなどを生産し、半導体生産の拠点として稼働してきたが、2012年9月をもって生産を終了した。
●閉鎖後は跡地の利用希望企業が見つからず、市は﹁土地所有者の東芝と知恵を出し合い活用方法を早急に検討する﹂としていた[145]。その後、小倉第一病院が跡地へ移転開院した。
大分工場︵大分県大分市︶
●半導体を製造していた。子会社のジャパンセミコンダクターに承継された。
深谷事業所︵埼玉県深谷市幡羅町1-9-2︶[130]
●日本初のカラーテレビ専門工場として1965年に操業開始し、かつては映像製品・部品の中核を担っていた[146]。2012年︵平成24年︶3月にテレビ生産を停止。その後関連会社が航空機向けブラウン管の製造を行っていたが、2021年3月末でそれも終了し、2021年9月末で閉鎖された[146]。2021年12月、跡地の西側エリアの約半分が大和ハウス工業に売却されることになったと報じられた[147]。
その他、1962年3月発行のカタログ﹃東芝家庭電化器具62A﹄には、現存工場である鶴見や府中、姫路などのほか、﹁名古屋工場︵同市西区[注 6]︶の扇風機の製造﹂﹁大阪工場︵茨木市︶の冷蔵庫の量産﹂の記載がある。また柳町工場は﹁家庭電気器具の主力柳町工場﹂と記載されている。
なお、大阪府茨木市にあった大阪工場の所在地の地名は﹁太田東芝町﹂で、跡地にはJR総持寺駅に近いことを活かし、追手門学院大学総持寺キャンパスおよび付属中学校・高等学校が建設されたが、工場撤退後も町名に﹁東芝﹂の名が残っている[149][150]︵﹁東芝町﹂も参照︶。
- 東芝デバイス&ストレージ(旧・ストレージ&デバイスソリューション社)
- 非営利活動
現在は子会社の東芝ライテックに移された事業だが、1890年に日本で初めて一般白熱電球の生産を開始、電球の6大発明と言われる世界初の2重コイル技術と内面つや消し製法をそれぞれ1921年と1925年に開発[154][155]。
また1953年には、国産初の蛍光灯生産も開始。とりわけ蛍光灯に関しては1954年の丸形蛍光灯﹁サークライン﹂、
1980年に電球形蛍光灯﹁ネオボール﹂に代表される新しいタイプの商品を多く生み出している。また、NHKと共同で蛍光灯の電波妨害を防止する技術﹁ノイズレス﹂も開発している。
東芝は2008年4月、東芝ライテックと共に、2010年、目処に一般白熱電球の製造・販売を終了すると発表。2010年3月17日付で一般白熱電球の製造を終了[156]。ただし、ミニクリプトンランプ、ハロゲンランプ、反射型ランプなど、現在の電球形蛍光灯やLED照明などに置き換えられないものは除くとしている。また、調光用途等に一般白熱電球を使用する顧客向けに、当面少量の販売を継続するとも発表した。
なお、この電球製造終了予告を取り上げた企業広告シリーズ﹁電球への思い﹂編が、第38回フジサンケイグループ広告大賞のメディアミックス広告大賞を受賞した。
2015年3月には業界で初めて電球形蛍光灯生産より完全撤退し、以後はLED電球のみの生産へ完全移行している︵電子点灯管と蛍光灯﹁メロウZプライド&メロウZロングライフ﹂・﹁ネオスリムプライド﹂シリーズは交換用途に絞って継続生産︶。
東芝MK4313MAT(4.3GB)
2003年12月、世界最小となる0.85インチハードディスクドライブを開発し、2006年にau向けのCDMA 1X WIN対応携帯電話﹁MUSIC-HDD W41T﹂に搭載した。このHDDは﹁世界最小のハードディスクドライブ﹂として2005年版のギネス世界記録に掲載されていた。
2012年にウェスタン・デジタルのHGST︵旧・日立グローバルストレージテクノロジーズ、日立GST︶買収︵同年3月8日完了︶に伴う寡占化対策としてウェスタン・デジタルからコンシューマ向け製品の一部の製造設備及び知的財産とニアライン向け製品の一部の製造設備︵HGSTの1TBプラッタの3.5インチドライブの製造設備及びウェスタン・デジタルの試験設備や知的財産の一部、東芝が取得するまでHGSTではその設備を用いた生産を継続[157]。︶を取得し、それまで製造していた2.5インチ以下及びエンタープライズ向け3.5インチのハードディスクに加えクライアント向け3.5インチのハードディスクの製造も開始した[158]。なお、ウェスタン・デジタルには東芝ストレージデバイス株式会社の子会社で2011年のタイにおける洪水で被災し休止している生産子会社の東芝ストレージデバイス・タイ社を譲渡︵2009年に富士通より取得した製造拠点、ウェスタン・デジタルが取得した後の処遇は未定だが、人員はウェスタン・デジタルのタイにおける生産拠点に統合する予定[157]。︶した。前者の案件は﹁ハードディスク全分野の製品の提供﹂と﹁ストレージ事業のさらなる強化﹂のため、後者は﹁生産拠点の集約による効率化﹂のため、との発表を行った[23][24]。
東芝製Hi-Fi真空管(6BM8)
電子部品関係では、戦前の1930年頃〜1960年頃まで「マツダ」ブランドが付けられた真空管への需要が高かった。
2016年12月、マイクロ波管や送信管などの電子管を生産していた子会社の東芝電子管デバイスはキヤノンに買収された(現・キヤノン電子管デバイス)[159]。
現在はパワー半導体などのディスクリート半導体、アナログIC、そしてマイコンについてはモーター制御用製品の開発・生産を行っている。
メモリーでは、1985年に世界初となる1メガビットCMOSのDRAMを開発。メモリー開発分野で世界トップとなった。だが、1990年代に入ってから韓国など海外に技術者が流出し、DRAMではサムスン電子にシェアを奪われた。当初は半導体技術者が、サムスン電子に技術情報をリークしていたが、後に東芝が公式に技術提供を行うようになった。この結果、東芝はマーケットシェアを失い、2002年にはDRAM事業から撤退することとなった[160]。
競合他社と比べてCMOSセンサーへ早く移行し、小型の先端製品で上位の市場シェアを持っていたが、2015年に一部の産業向け製品を外してソニーに事業譲渡することにより、撤退した[162]。
放送用音響機器等
1937年 - NHK放送技術研究所の依頼で、RCA社の特許を使用して国産ベロシティーマイクロホン︵VI-345A型・通称Aベロ︶を生産。その後、国産ベロシティーマイクロホンを数々手がけて、民放の誕生時には放送機器の製造を始じめ昭和40年代まで放送用音響機器を生産。日本のテレビ放送黎明期にはテレビカメラや送出装置、送信機を始めとする東芝製の放送機材が全国の民放放送局に納入された。
東芝社内で﹁APC装置﹂と呼ばれているテレビマスターを作っており、主にフジテレビ︵地上波・BS・CSの3波統合型マスターを導入[注 7]︶やFNN・FNS系列局︵NNN・NNSクロスネット局のテレビ大分を含む[注 8]︶、BSデジタル放送局又は地上デジタル放送各局を中心に多数納入している他、放送大学[注 9]にも納入している。
その他、ラジオマスター、テレビ・ラジオの送信機やサテライト装置︵中継装置︶なども製造していて、一部の機器︵GFシリーズ︶については、グループ会社の池上通信機と共同で商品展開を行っている。かつてはテレビカメラやハイビジョンVTR︵D6-VTR︶も製造していたほか、NHKにもAPC装置を納入していたが、現在は地方局のラジオ運行装置のみである。
精密級複合計器︵東京電力︶向け
電力量計、無効電力量計、需要電力計を内蔵した電子式。大口需要家に設置されている。
電力会社向け電力量計・スマートメーターを開発・製造している。2011年のスイス同業・ランティス・ギアの買収により世界最大の電力量計メーカーとなったが、2017年に同社を売却している[166]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/79/OOjs_UI_icon_broom.svg/40px-OOjs_UI_icon_broom.svg.png) | この節は過剰な画像のため読みにくくなっています。ウィキペディアは百科事典であり、画像投稿サイトではありません。ノートページにて、ページ容量肥大化の原因になるため、似たような画像を複数枚使用するのを控えるよう要請されています。︵2021年9月︶ | ![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/77/Antu_eog.svg/45px-Antu_eog.svg.png) |
2015年の東芝グループの経営危機に伴い、社内カンパニーを分割し、関係子会社の売却を進めた。売却を行った後も承継会社にて東芝ブランド製品をそのまま継続して使用できる契約を結んでいる。
継承会社‥東芝映像ソリューション株式会社→TVS REGZA株式会社︵中国・ハイセンス傘下︶
東芝の薄型テレビはハードディスクやネットワークと連携しテレビの映像を簡単に録画できる液晶テレビ﹁REGZA﹂を主軸とし、これまで低かった同社の液晶テレビのシェア率を徐々に伸ばしたが、2008年度の国内の液晶テレビシェアは12%で4位であった。
2009年、中国で液晶テレビの不具合が多発、集団訴訟がおきている[171]。次世代の薄型大画面テレビではSED方式をキヤノンとの合弁会社により共同開発するも、東芝の出資会社であることに特許係争先の米Nano-Proprietary社が難色を示し、問題の早期解決を図るため東芝としての出資分をすべてキヤノンに売却した。しかし東芝からの従業員の出向は継続しており、SED方式のテレビは東芝からも発売を行う予定としている。
ここ数年は海外メーカーとの激しい価格競争が続いており、東芝は2015年、映像事業を抜本的に見直し、今後は画質や録画機能に関して高い評価と安定したシェアを持つ国内市場に注力し、4Kテレビを中心とした高画質モデルの自社開発・販売を継続していくことを明らかにした。海外市場については台湾コンパル社や中国スカイワース社へのブランド供与型ビジネスへ移行する。
承継会社‥東芝ライフスタイル株式会社︵中国・美的集団傘下︶
かつては﹁ボストン﹂や﹁Aurex︵オーレックス︶﹂のブランドでオーディオ商品を展開していた。また、ゼネラルオーディオの分野では、80年代初めから半ばにかけ、ヘッドホンステレオ﹁Walky︵ウォーキー︶﹂や、ラジカセ﹁SUGAR︵シュガー︶﹂といった人気ブランドを擁していた。しかし、90年代初めには東芝本体の経営方針転換により、オーディオの自主開発を中止。順次ケンウッドやシャープのOEMに切り替わった後、それらの販売終了と共に東芝ブランドのオーディオは一旦市場から消えた。
2002年、ハードディスク搭載のMP3プレイヤーgigabeatを発売し、東芝ブランドのオーディオ製品が約10年ぶりに復活した。このgigabeatは2007年まで5年間発売されていた。また、マイクロソフトが販売していたMP3プレイヤーZune︵日本公式未発売︶のハードウェアの開発・製造も同時期に行っていた。
なお、2003年からゼネラルオーディオ分野においても、グループ会社の東芝エルイートレーディングが企画・調達する形で、CDラジカセ、ラジオ、スピーカーシステムといった製品ラインナップが復活。東芝ブランド製品として家電量販店や系列の家電品販売店﹁東芝ストア﹂で販売している。2016年、更に機種を増やし、26年ぶりとなる﹁Aurex﹂を冠したハイレゾ対応卓上型CDパーソナルシステムも発売。
承継会社:東芝ライフスタイル株式会社(中国・美的集団傘下)
世界初の日本語ワープロ JW-10
Toshiba Satellite A300
承継会社‥東芝クライアントソリューション株式会社→Dynabook株式会社︵シャープ完全子会社︶
コンピュータに関しては、1950年代に真空管を使用したTACのハードウェア開発を発端とし、TOSBACの名で製品をリリースしていた。
また国策として日本電気︵NEC︶と共に、メインフレームを製造︵ACOSシリーズ77、実際にはACOS-6シリーズ︶していたが、比較的早い時期に撤退した。日本電気と共同で設立したSI会社、﹁日電東芝情報システム﹂︵のちに、NEC東芝情報システム、通称NTIS︶で、ACOSシリーズのSI事業を中心にした事業を行なっていたが、2004年4月に東芝との合弁を解消した。
Unixサーバ・ワークステーションとして、Sun Microsystems社の製品をOEMでの販売をしていた。大・中規模サーバ系︵Sun Enterpriseなど︶は UX series、デスクトップサーバ・ワークステーションは AS series というブランドであった。ASシリーズでラップトップワークステーションの開発および販売も行っていた。
パーソナルコンピュータでは、8ビット機として﹁PASOPIA﹂︵パソピア︶シリーズ、16ビット機として﹁PASOPIA16﹂、独自に日本語化したラップトップ型PC/AT互換機﹁J-3100﹂シリーズ、ノート型のPCでは﹁DynaBook﹂︵ダイナブック︵現在は﹁dynabook﹂︶。海外向けはSatellite︶を開発し、1993年から2000年までノートPCシェア7年連続世界1位となった。また、﹁Libretto﹂︵リブレット︶の人気が高かった。デスクトップPCについては企業向けのEQUIUM︵エクィアム︶を除き生産を終了した。
また、2007年度のノートPC世界出荷台数は1270万台、当時のシェアは9.0%であり、2.5型、1.8型のHDDを他社へ販売していた。また、青梅事業所は、日本語ワープロの国産第1号機 ︵JW-10︶ を開発した。この経緯はNHKのプロジェクトX〜挑戦者たち〜で取り上げられた。青梅事業所は、2015年に閉鎖・売却された。
他にも、企業向けにTOSWORD︵トスワード︶、個人向けにはRupo︵ルポ︶シリーズを販売した。名称としての﹁Rupo﹂は、東芝製携帯電話の文字変換ソフトとして2005年まで使われていた。
2015年の売上高は6663億円となり、赤字が続いていた。2015年12月に富士通とVAIOとの3社によるパソコン事業を統合する検討に入ったと報じられ、実現すれば日本シェア首位のパソコン企業が誕生する[173] ところであったが、2016年4月に統合交渉は白紙に戻った[174]。2018年、東芝クライアントソリューションの株式80.1%をシャープに売却し、2020年に残り全ての株式も売却[92]。パソコン事業からは完全撤退した。
承継会社‥東芝EMI株式会社→株式会社博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
東芝は日本の電機メーカーではソニーと並んでエンターテインメント分野に積極的に取り組み、音楽や映像で家電製品とのシナジー効果が目指された。
音楽ソフト︵レコード︶部門は1960年10月1日に東芝音楽工業株式会社として分離独立し、同社は米国のキャピトルEMIの出資を経て1973年10月1日に東芝EMI株式会社と社名を変更した︵正式社名は東芝イーエムアイ株式会社︶。また、2003年10月1日にアミューズよりアミューズピクチャーズを買収して東芝エンタテインメントと社名を変更し、ワーナー・ブラザースに資本参加するなど、映画の制作・配給分野にも進出した。かつてはワーナー・ブラザースと日本テレビの合弁企業﹁トワーニ﹂を設立したが、解散している。
東芝は三井グループ内では独立色の強い企業ではあったが、戦前の三井財閥時代から﹁軽工業や第三次産業︵エンターテインメント産業は第三次産業に属する︶には強いが、重化学工業には弱い﹂といわれてきた三井にとって東芝及び東芝傘下の東芝EMIや東芝エンタテインメントを通じてエンターテインメント産業に力を注ぐことは﹁エンターテインメントに強い三井﹂のアピールとなるため、2000年代前半までは東芝は三井グループの一員として、この色彩を強めるものと考えられていた。
しかしその後、東芝本体は経営資源を主力となっている半導体事業や原子力事業に集中し、中核ではないコンテンツ・エンターテインメント分野などの事業は他の事業との相乗効果が見られないと判断、切り離す方針を採る。2006年12月にはこの方針と英EMIグループの日本事業強化に伴う株式買い取り提案とが合致し、2007年度上半期中に保有する東芝EMI株をEMIグループに全株売却し、音楽事業から撤退すると発表︵譲渡後、同年6月30日付で社名を﹁株式会社EMIミュージック・ジャパン﹂に変更︶[注 13]、更に2007年4月には東芝エンタテインメントの全株式を、5月1日付で博報堂DYメディアパートナーズに譲渡すると発表︵譲渡後、同年6月1日付で社名を株式会社ショウゲート︵現・博報堂DYミュージック&ピクチャーズ︶に変更︶し、エンターテインメント分野からは完全撤退をすることとなった。
過去に2本、東芝自身が製作委員会に参加したテレビアニメ作品がある︵下記参照︶。
2012年1月26日に電子ブックリーダー﹃Book Place﹄という製品を発売しており、BookPlaceストアという電子書籍書店をBookLiveと協業していたが、2013年4月4日、新たに﹃BookPlace Cloud Innovations﹄という直営ストアを開店。BookPlace MONOというE-Ink搭載端末を販売したが、2015年にサービス全体はU-NEXTに譲渡された。
ほぼ完全にエンターテインメント分野と手が切れた形だが、同社のテレビ、レグザではクラウド録画機能﹁みるコレ﹂の拡充で角川書店などのアニメ作品などと提携するなどして細々とコンテンツ業界との関係は維持している。
子会社のブランドを含む。
- E-CORE(イー・コア) - LED照明器具・LED電球
- メロウホワイト / メロウ5 / メロウZ / メロウZ ロングライフ / メロウZ PRIDE - 蛍光ランプ
- ネオスリムZ / ネオスリムZ PRIDE - 高周波点灯専用蛍光ランプ
- ネオボールZ / ネオボールZリアル / ネオボールZリアルPRIDE - 電球型蛍光灯
- CANVIO(キャンビオ) - 外付けハードディスク
- EXCERIA(エクセリア) - プレミアム系SDメモリーカード
- MAGNIA(マグニア) - IAサーバー
- e-STUDIO(イー・スタジオ) - 複合機
- Dynario(ダイナリオ) - モバイル燃料電池
- CuteBeat(キュートビート) - CDラジオカセット
- Aurex - ハイレゾ対応プレミアム系パーソナルCDシステム[注 14]
- RENECAT(ルネキャット) - 酸化タングステンを使用した可視光応答型光触媒
●TRY-X - BCLラジオ受信機、﹁SOUND750﹂の後継機。
●SOUND750︵サウンドナナハン︶ - BCLラジオ受信機、1973年にはテレビ音声が受信できるタイプも発売された。
●アラカルト - 電子レンジ
●置けちゃうビッグ - 大型冷凍冷蔵庫
●置けちゃうスリム - 中型冷凍冷蔵庫
●鮮蔵庫 - 冷凍冷蔵庫。 ﹁リーチin保湿鮮蔵庫﹂、﹁the鮮蔵庫﹂、﹁theノンフロン鮮蔵庫﹂、﹁光プラズマ鮮蔵庫﹂など、世代や型番によりバリエーションがあった。
●プラズマ鮮蔵 - 冷凍冷蔵庫
●グラシーオ - 大型冷凍冷蔵庫
●みはりばん庫 - 冷凍冷蔵庫
●かわりばん庫 - 冷凍冷蔵庫
●野菜収納名人 / まるごと鮮度名人 - 冷凍冷蔵庫
●I wish - 小型冷凍冷蔵庫
●快速冷凍 - 東京芝浦電気時代の冷蔵庫。1982年。
●優凍生セレクト
●冷吉 - 冷凍庫
●北斗星 - 冷凍冷蔵庫
●Great北斗星 - 1975年頃製造。また縦に大型なGreat北斗星なる製品もあった。3段で一番下はワンタッチ式の開閉可能な野菜室、直冷式。
●クリアーナ北斗星 - 1970年代製造。快速冷凍ボタン装備。
●IC快速冷凍冷蔵庫
●プラスワン - 下段収納庫が付いた冷蔵庫。
●フリーザーMAX - 1965年発売の1ドア冷凍冷蔵庫。
●Dailycook︵デイリークック︶ - オーブンレンジ
●クックモア - 1979年頃製造。反射ガラスを搭載したオーブン
●クロワッサン - 1979年頃製造。自家製パン調理器具
●剛熱かまど炊き - IH保温釜
●鍛造はずみ炊き - IH保温釜
●マイコン - 保温釜
●かまど炊き風 - 保温釜。1970年代製造。
●真空ひたし圧力かまど炊き / 真空ひたしかまど炊き / 真空圧力炊き / 真空炊き - 真空IH保温釜
●一品削り出し本丸釜 - 真空圧力IH保温釜
●圧力仕込み - 圧力IH保温釜
●銀河 - 洗濯機。世代や型番、洗濯機のタイプにより﹁S-DD銀河﹂・﹁快速銀河21﹂・﹁DDインバーター銀河﹂・﹁シャワーリンス銀河﹂など違う名称を用いていた。
●ザ・トップインドラム / ザ・フロントインドラム - ドラム式洗濯乾燥機
●ハイブリッドドラム / エアコンサイクルドラム S-DD SOLA - ドラム式洗濯乾燥機。﹁ハイブリッドドラム﹂でも S-DD WIND を記したモデルがあった。
●最洗ターン - 1980年代後半に登場した洗濯機。それまでドラムに付いていた服を回転させる羽根が無い仕様。
●エアロサイクロン - サイクロンクリーナー
●コードがゼロ - コードレスマジックサイクロンクリーナー
●Typhoon Robo / Typhoon Robo XP / Typhoon Robo Pack - クリーナー
●強と清 - クリーナー
●排気がゼロ - 排気循環式クリーナー
●ひっぱれー - ロールフィルター内蔵型台所用換気扇。
●守礼 - 沖縄地区限定販売のエアコン。cmのナレーターが横沢啓子。
●やすらぎ - 電気毛布
●ホッカー - ホットカーペット
●かなりや、うぐいす、かっこう、めじろ - ﹁マツダ﹂ブランドとして製造販売された真空管式ラジオ。1962年から東芝ブランドに変更。
●しゃくなげ、金魚草、風鈴草ほか - 1950年代〜1967年に発売した扇風機。機種ごとに花の名前がつけられていた。1964年ごろのモデルより首の部分がボタンひとつで伸縮可能な﹁リモートアップ﹂、分刻みのタイマーで自動的に電源が切れる﹁タイムスイッチ﹂、底部の四隅に内蔵された車輪あるいは底部の真ん中に内蔵されたターンテーブルにより本体ごと向きを変えられる﹁ロータリーベース﹂が採用されるようになった。
●CRYSTAL ZEPHYR - 1968年頃〜1970年頃に発売された扇風機。﹁リモートアップ﹂や﹁タイムスイッチ﹂が引き続き採用されたが、﹁ロータリーベース﹂のみこのモデルを以て廃止された。
●Quie - 低騒音型クリーナー
●Mega Wheel︵メガホイール︶ - 紙パック式クリーナー。低騒音仕様の最上位機種として﹁Mega Wheel type Quie﹂も発売されていた。
●Smarbo︵スマーボ︶ - ロボットクリーナー。
●木かげ︵こかげ︶ - エアコン
●輝き仕上げ - 食器洗い乾燥機
●ふんわり - 1970年代に登場した衣類乾燥機
●マイナスイオン速清快・空気の戦士・臭わんニャー - 空気清浄機
●GigaEnergy - ニッケル一次電池
●ULTRA Z - アルカリ乾電池
●UNICAD - ニッケル・カドミウム蓄電池。ニッケル水素電池への移行に伴い廃止。
●Electrolux by Toshiba - 白物家電。スウェーデンエレクトロラックス社とのコラボレーションブランド。2006年︵平成18年︶の3月末に販売終了。
●ユニカラー - 1965年 - 1971年に製造されたブラウン管カラーテレビ。
●ICブライトロン - 1971年 - 1975年に製造されたブラウン管カラーテレビ。
●ブラックストライプ - 1975年 - 1979年頃まで製造されたブラウン管カラーテレビ。初代イメージキャラクターは桂三枝︵現‥六代目桂文枝︶が務めた。
●BAZOOKA - ブラウン管テレビ
●CORE - 1982〜1985年頃まで発売されたブラウン管カラーテレビ。RGB端子などが備わったニューメディア対応型。
●Premage︵プリマージュ︶ - 1980年代に製造されたブラウン管カラーテレビ。見たい番組の時間が来ると電源が自動で入る仕組み。その後、東芝テックのコピー機などのブランドとしても用いられた。
●FACE - 液晶テレビ/ブラウン管テレビ/プラズマテレビ
●ときめきの色 - 1970年代製造のカラーテレビ
●スペースイン18 - カラーテレビ
●サーボビジョン - ステレオテレビ、FM付。後発でFMチューナーも装備された。
●ぱっちりセンサー - デジタルタイマー付き。
●カンタロウ - 初心者向けHDD/DVDレコーダー。その後﹁VARDIA﹂に統合された。
●RD-Style/W録 - HD DVD/HDD/DVDレコーダー。﹁W録﹂は機能名として現在も用いられる。
●ホームスクリーン45 - ビデオプロジェクター
●gigashot - HDDビデオカメラ
●BomBeat - ラジオカセット、1970年代製造。ひとりはテープ、ひとりはラジオを同時に聞ける仕様。
●Walky - ステレオカセットプレイヤー。チューナー︵初期の機種はカセット型チューナーパック式︶や録音機能、再生EQ、メタルテープ対応等の高機能製品が存在し、今もなお人気があり故障品であってもオークションでの取引も盛ん。このシリーズかは不明だがステレオマイクロカセットプレイヤーも存在していた。
●Tweety - ﹁Walky﹂の後継機。機械式の安価なカセットプレーヤーのみのラインナップであった。
●SUGAR - 1980年代後期発売のラジオカセットレコーダー
●ヒットパレード - 小型カラオケ用8トラックプレイヤー。このシリーズ以外にも各メーカーが発売していた木箱の大型カラオケ8トラック・カセットも発売していた。
●gigabeat - HDDオーディオプレーヤー
●BREZZA - 個人向けデスクトップパソコン
●Qosmio - ノートパソコン
●Libretto - ノートパソコン。一部海外ではdynabookが統合。
●GENIO e - PDA・ポケットPC
●dynapocket - NTTドコモ・au・ソフトバンクモバイル向け各スマートフォン
●Trance Cube - ワイヤレスステーション
●Rupo - パーソナルワープロ
●ジュースメーカー
●SPOT - ファクシミリ
●miro - ファクシミリ
●風のイマージュ - 扇風機
●uLos︵ウルオス︶ - 加湿機能付空気清浄機︵CAF-KP40X/KP50X︶、気化式加湿器︵KA-P30X/P50X/P70X︶に用いる。ファン︵ターボ・ブロワーファン︶まですべて外してお手入れできる独自の﹁実感クリーン構造﹂を採用。
●Sora - デジタルカメラ
●モバビジョン - モバイル放送受信機
●VIEWSTAR - ベータ方式後期・VHS方式初期のビデオデッキ
●ARENA - VHS方式中・後期のビデオデッキ、DVD&VHSデッキ、8ミリビデオもあった。
●VARDIA - HD DVDレコーダー・ハイビジョンレコーダー・ブルーレイレコーダー/プレーヤー
●ポータロウ - ポータブルDVDプレーヤー
●ビュースター - 1980年代製造のポータブルビデオ。逆転スロー再生が可能だった。人気シリーズのため、種類の豊富で、10年以上の長期渡って製造された。
●ハイピクチャー - HiFiビデオ
●マイドリーム - ビデオディスクプレーヤー
●COPIX - 電子ファクシミリ。15秒の高速転送とワンタッチ式操作が売り。
●デジタル - ビデオレコーダー
●レオドライ - PPC電子複写機。
●ペルシャム - ホットカーペット
●ツインカラー - 複写機
●HOTLAND - ファンヒーター
●カラットキーパー - 写真用品向け防湿庫。写真家の間では東洋リビングの防湿庫と人気を二分していた。他にも明暗を切り替えられる暗室電球も生産していた。
●カスタム、コンピュータ×××︵×には機種名が入る︶ - カメラ用フラッシュ
●TOSFile - コンピュータ用記憶装置。1979年︵昭和54年︶に発売され、30cm大の光ディスクにレーザースキャンで読み取った画像を保存可能であった。光ディスクの容量は約1GB。他社にも似た記憶装置があったが、互換性はない。
●TOSWORD - 文字記録装置。
●TOSBAC漢字システム15 - 漢字記録装置。
●週録ビデオ - 多機能録画装置。
●ノイズレス - NHKとの共同開発。点灯時におけるテレビ・ラジオの雑音を防ぐ蛍光灯。
●マジック - 家庭用電気掃除機
●ヤング・セブン - 1964年頃に製造販売されたトランジスタラジオ、ジェリー藤尾によるイメージソングは東芝音楽工業よりレコード化もされた。
●ランドリエ - 家庭用衣類乾燥機。
●ボストン - セパレートステレオ装置
●アクタス - ポータブルラジオ
●カレッジエース - テープレコーダー
●リズミー - ポータブル電蓄、ポータブルステレオ電蓄
●ミエロン - 1970年代後半~80年代前半に製造販売されたスチームアイロン。カセット式の中身が見える水タンクが特徴。
●クリフティ - 1970年代末に登場した石油暖房器具。
●ドライ7 - 1970年代に製造された除湿温風乾燥機。多機能で布団や衣類、押入れも乾燥できた。
●ネオブルー - 1970年代製造。体温計。目盛りが赤かではなく青なので体温をはっきりと読み取りやすかった。
●メロウルック - 1970年代製造の蛍光ランプ
●ダストロン - 掃除機。ワンタッチでゴミをゴミ箱に捨てられる。
●ミセスコート - 1980年代初頭製造の換気扇
●ZOLVA - 1980年代初頭に登場した電気シェーバー。回転式と往復式が存在した。
●ズボンプレッサー - ズボン畳める
●くるりん - 女性用カールブラシ
●インテリアAV - カラーテレビ
●PASOPIA7 - パーソナルコンピュータ
●やぐらこたつ - 1960年代〜1970年代に発売した、赤外線とシーズ線の2つの熱源を採用した家具調こたつ。こたつの使用者から﹁︵足の︶水虫が治った﹂との声が多数寄せられた。
●新かくれんぼヒーター - 家具調こたつ
●パーソナル - 1975年発売の窓用クーラー。CMキャラクターはフランキー堺が務めた。
●VEGETA︵ベジータ︶ - 冷凍冷蔵庫︵定格内容積400L以上で、うるおい補給野菜室・まんなか野菜レイアウト・野菜そのまま冷凍を採用した機種に用いる︶
●マジック大容量 - 冷凍冷蔵庫︵前述の﹁VEGETA﹂の後継モデル。2013年モデル﹁VEGETA﹂とほぼ同じ寸法で大容量化を実現している。現在は605LモデルのGR-H610FVのみ︶
●石窯ドーム - 過熱水蒸気オーブンレンジ・スチームオーブンレンジ
●石窯オーブン - スチームオーブンレンジ・オーブンレンジ︵かつては過熱水蒸気オーブンレンジにも用いられていたが、順次﹁石窯ドーム﹂に移行、スチームオーブンレンジは2014年モデルのER-M6の発売により再設定される︶
●かまど炊き - IH保温釜。真空タイプのVRHシリーズは﹁真空かまど炊き﹂、真空圧力タイプのVSHシリーズ・VXHシリーズ・VPHシリーズは﹁真空圧力かまど炊き﹂を名乗る。
●ZABOON︵ザブーン︶ - 洗濯機。ドラム式洗濯乾燥機が中心だが、2013年2月から縦型洗濯乾燥機、全自動洗濯機の各最上位モデルにも用いられるようになった。
●La・Coo︵ラクー︶ - コードレスアイロン。現行モデル全機種﹁美︵ミ︶ラクルベース﹂を採用しており、﹁美ラクルLa・Coo﹂を名乗る。
●TORNEO︵トルネオ︶ - クリーナー。分離集塵方式﹁デュアルトルネードシステム﹂を搭載したサイクロン式︵VC-C3A/C3︶は﹁TORNEO mini﹂、12気筒﹁バーティカルトルネードシステム﹂を搭載したサイクロン式︵VC-S214/SG314/SG413/SG513︶は﹁TORNEO V﹂をそれぞれ用いる。2014年9月には﹁Smarbo︵スマーボ︶﹂で展開していたロボットクリーナーを組み込み、﹁TORNEO ROBO︵VC-RV1/RVD1/RCX1︶﹂を新たに発売した。
●大清快︵だいせいかい︶ - エアコン
●SIENT︵サイエント︶ - 扇風機︵DCインバーターモーター搭載のリビング扇に用いる︶
●IMPULSE︵インパルス︶ - アルカリ乾電池。ニッケル水素電池の﹁充電式IMPULSE﹂もラインナップする。2013年10月にはより性能を高めた﹁The IMPULSE﹂・﹁充電式 THE IMPULSE﹂を追加。
●アルカリ1 - アルカリ乾電池。﹁IMPULSE﹂に移行のため、OEM製品︵企業ユーザー︶専用商品となった。
●キングパワー - マンガン乾電池。現行品は亜鉛ペレット成形の際に添加する鉛を別の物質に置き換えたことで鉛不使用︵9V形を除く︶を実現した環境配慮型の﹁キングパワークリーク﹂である。昭和30年代から使用されている。
●REGZA︵レグザ︶ / REGZAケータイ / REGZA Phone - ハイビジョン液晶テレビ・ラックシアター・ブルーレイレコーダー/プレーヤー・ハイビジョンレコーダー・タブレット端末・ワンセグ対応携帯電話・スマートフォン[注 15]
●もちっ子 - 家庭用餅つき機。一部秋冬限定製品。1980年代に同社提供のテレビアニメ﹁サザエさん﹂を起用したテレビCMが放送されたことがある。
●dynabook︵ダイナブック︶2020年にシャープに売却 / dynabook Qosmio︵コスミオ︶=現在は消滅 / dynabook KIRA︵キラ︶=現在は消滅 / dynabook Satellite︵法人向け︶=現在は消滅 - ノートパソコン
●dynabook REGZA PC︵レグザ ピーシー︶2020年にシャープに売却。 - Qosmio Dシリーズの後継機となるAV機能に特化した個人向け一体型省スペースTVデスクトップだが現在は消滅
●EQUIUM︵エクイアム︶ - 2020年にシャープに売却。法人向けデスクトップパソコン
東芝グループ経営理念
﹁人と、地球の、明日のために。﹂
コーポレートスローガン
﹁For a new day. 未来を作る人がいる。﹂
コーポレートブランドタグライン
現在は使用なし︵2006年 - 2018年‥﹁TOSHIBA Leading Innovation>>>﹂が社標の一部として使用されてきたが2018年に東芝グループ理念体系の見直しにより廃止となった。︶
コーポレートイメージキャラクター
有村架純 - かつては東芝クライアントソリューション︵現在のDynabook︶、東芝映像ソリューション︵現・TVS REGZA︶、東芝メモリ︵現・キオクシア︶のイメージキャラクターも務めていたが、グループ再編により現在はコーポレートCMの出演のみ。
過去のキャッチコピー
●電球から原子力まで電気の総合メーカー東芝
●明日をつくる技術の東芝
●E&E︵エネルギーとエレクトロニクス︶の東芝
●先端技術を暮らしの中へ…E&Eの東芝︵業務用製品のカタログでは﹁暮らしの中へ﹂が﹁オフィスへ﹂などに変わる︶
●人と、地球の、明日のために。東芝グループ
●あっ!TOSHIBA
●TOSHIBA For Your NO1
1970年代から1980年代には松下電器︵現・パナソニック︶のテーマソング﹁明るいナショナル﹂に対抗して﹁光る東芝の歌﹂のテーマソングが東芝日曜劇場︵現・日曜劇場︶などの東芝一社提供スポンサー番組の冒頭に流されていた。現在でも、社会人野球の応援歌として使用されている。
また、家電商品については﹁FOR BETTER LIFE﹂︵個性ゆたかに 東芝の提案︶というアイキャッチが1980年代に使用されていた︵末期には﹁FBL﹂商品に変わった︶。
スポット提供のみ
東芝ビジネスエキスパート(TBEX)直営のスポーツチーム
[編集]
2023年2月、柳瀬吾郎代表執行役副社長COOが2019年に東芝子会社役員を務めていた際、交際費の不適切な処理があったとして、辞任した[205]。
東京芝浦電気(当時)が車両設計を担当したドリーム開発ドリームランド線が、開通翌年の1967年に車両の設計不良が原因で営業休止を余儀なくされたため、ドリーム開発が当社と三井物産を相手に損害賠償請求の民事訴訟を提起。結果として当社は26億円の損害賠償を支払った。
1999年に東芝製ビデオデッキの不調を訴えて購入者が修理を依頼したところ、東芝の担当者が購入者を「クレーマー」と言ったことから、購入者が自らウェブサイトを開設してやり取りを秘密録音した音声ファイルを公開。これが2ちゃんねるなどで話題となり炎上し、ネット社会におけるカスタマーサービスのあり方に一石を投じる事件となった。
(一)^ ただし、﹃東芝日曜劇場﹄のオープニングタイトルにおいては、1979年3月頃まで傘マーク︵方形背景無し︶が継続して使用されていた。
(二)^ サムスンは巨額投資を重ね続けてたことで世界のフラッシュメモリのシェアで首位に立っている。東芝のNAND型フラッシュメモリも利益の大部分を稼ぎ出す主力事業に育ったが、2017年にも東芝首脳部の判断への批判がありフラッシュメモリーを世界初の発明者だった舛岡富士雄も東芝社内だけではなく日本国内にも自身の開発した技術を正しく評価してくれる者がいなかったこと嘆いている。
(三)^ 2014年6月から2015年9月までは取締役会長、2015年7月から9月までは取締役会長兼代表執行役社長。以降は社長退任まで、取締役兼代表執行役社長。
(四)^ 2018年4月から2020年3月まで、代表執行役会長兼CEO。社長に転身後もCEO兼務は継続。
(五)^ 2020年4月より取締役会長、2021年4月より取締役会長兼代表執行役社長。
(六)^ 現在でも同社の名古屋ビルが残っており、それ以外はUR都市機構により再開発済み[148]。
(七)^ 統合型マスターへの切り替えは3段階に分けて行なわれ、2008年12月1日に地上波で先行運用を開始。その後2009年4月1日にCS放送、2009年10月にBS放送も統合型マスターに切り替えた。なお、フジテレビONEで放送された﹁ばら・す﹂の東京タワーの回ではフジテレビ社屋内にある1世代前のマスター︵1997年の現社屋移転から2008年11月末まで運用していたもの︶が紹介された。同一階のフロアにあるため1台に見えるように思えるが、実際は別々になっており、正面左側から地上アナログ、地上デジタル、BSフジの順に送出マスターが並んでいる。天井の看板にも地上アナログ︵黄緑の背景色︶、地上デジタル︵ピンクの背景色︶、BS︵スカイブルーの背景色︶とそれぞれ放送局名と共に書かれていて区分けされている。
(八)^ ただし、東海テレビやテレビ熊本など一部の系列局を除く。
(九)^ 2006年11月下旬から現在の地上アナログ・デジタル統合マスターが運用されているが、2011年10月のBSデジタル放送開始に先立ち、地上デジタル・BSデジタル統合型に改修された。既に終了した地上アナログ放送とスカパー!・ケーブルテレビ局向けCS放送マスターも、地上デジタル・BSデジタル統合型マスターに組み込まれていた。
(十)^ 基本的に三菱電機と共同で製作しているが、DF200形電気式ディーゼル機関車は東芝と共同で製作した。
(11)^ なお、同社製の携帯電話として最後に国内で製造されたのはau向けのPLY︵iidaブランド︶である。
(12)^ 元々、X線CTは英国のEMI社で開発されたものであり、東芝はEMIとレコード事業で提携していたという縁があったため、日本初のX線CTは1975年に東芝が輸入したものである。
(13)^ 現在では、 EMIミュージック・ジャパンは、2013年 ユニバーサルミュージック合同会社に吸収合併され、その一部門 (EMI Records Japan→、現在Virgin Music、EMI Records )となっている。
(14)^ かつては据え置き型ピュアオーディオ︵アンプ、チューナー、ステレオカセットデッキなど︶のブランドだったが1980年代末期にはCDラジカセやAVアンプなども存在していた。
(15)^ REGZA Phoneの商標は現在でも東芝が保有しており、開発・製造・発売は富士通︵当初は富士通東芝(現・富士通モバイル)も︶がおこなっている。
(16)^ 実質には1987年10月から複数社提供となったが、提供クレジット上は東芝単独だった。
ウィキメディア・コモンズには、
東芝に関連するメディアがあります。
|
---|
主要企業 |
| ![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/Toshiba_Logo.svg/100px-Toshiba_Logo.svg.png)
|
---|
旧主要企業 |
- 芝浦製作所
- 田中製造所
- 東京芝浦電気
- 東京電気
- 東京白熱電燈球製造
- 白熱舎
|
---|
傘下企業 |
|
---|
旧傘下企業 |
|
---|
出資先企業 |
|
---|
経営者 |
|
---|
事件 |
|
---|
関連項目 |
|
---|
カテゴリ |
|
---|
理事 |
|
---|
準理事 |
|
---|
製造 |
|
---|
建設 |
|
---|
インフラ |
|
---|
情報・通信 |
|
---|
運輸 |
|
---|
卸売・小売 |
|
---|
金融・保険 |
|
---|
不動産 |
|
---|
複合サービス |
|
---|
サービス |
|
---|
教育・学習支援 |
|
---|
自治体・ 大学・その他 |
|
---|