レインボー (テレビ番組)
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レインボー | |
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ジャンル | ワイドショー |
出演者 |
桂三枝 桂文珍 月亭八方 山城新伍 ほか |
国・地域 |
![]() |
言語 | 日本語 |
製作 | |
製作 | 毎日放送 |
放送 | |
放送局 | 毎日放送 |
映像形式 | 4:3 |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1992年10月5日 - 1993年10月1日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 14:00 - 14:55 |
放送分 | 55分 |
番組年表 | |
前作 | きらめきワイド |
次作 | 屋台の目ぇ |
関連番組 | スーパーワイド |
﹃レインボー﹄は、1992年10月5日から1993年10月1日までTBS系列局の一部で放送されていた毎日放送製作のワイドショーである。放送時間は毎週月曜 - 金曜 14:00 - 14:55 ︵日本標準時︶。
概要[編集]
番組タイトルは、﹁2時﹂と﹁虹﹂を掛けたものである。 当時のスタッフ曰く、きんさんぎんさんをいち早く取り上げたワイドショーで、彼女たちが大阪旅行をする際の企画やセッティング︵家族および担当医への相談、道中の移動手段の手配など︶をした上で密着取材を行っていたとのことである。この時に、蛸抜きのたこ焼きを用意したエピソードなどが残されている[1]。 前述の通り、この番組は他のTBS系列局でも放送されていた。それまで関西の昼ワイドを意欲的に放送してこなかった他、自社制作も中断していた中部日本放送︵現・CBCテレビ︶でも放送されていたが、後にCBCは番組を途中で打ち切り、それまで後半15時台のみを放送していたTBS製作の﹃スーパーワイド﹄を他のネット局よりも早く[要出典]フルネットするようになった。そして、1993年10月に番組が終了した後はネット局の殆どが﹃スーパーワイド﹄をフルネットで放送するようになり、MBSもそれに追随するように同番組のフルネットへと移行。替わって同自社製作枠を16時台へと移し、ここで他にネット局を持たない関西ローカルの﹃屋台の目ぇ﹄をスタート。その後、さらに時間が遅くなるも、1996年秋改編で﹃はーい!昼ナマ﹄としてこの時間に回帰することとなった。出演者[編集]
月曜・火曜[編集]
●桂三枝︵現・6代目桂文枝︶ ●ほか水曜[編集]
●桂文珍 ●ほか木曜[編集]
●月亭八方 ●ほか金曜[編集]
●山城新伍 ●ほかネット局[編集]
●毎日放送︵MBS︶- 製作局。 ●東北放送︵TBC︶[2] ●信越放送︵SBC︶- 1993年4月2日打ち切り[3]。 ●静岡放送︵SBS︶- 1993年4月2日打ち切り[4]。 ●中部日本放送︵CBC、現‥CBCテレビ︶- 1993年4月2日打ち切り[5]。 ●山陽放送︵RSK、現‥RSK山陽放送︶[6] ●中国放送︵RCC︶[7] ●山陰放送︵BSS︶- 1993年4月2日放送開始[8]。 ●熊本放送︵RKK︶- 1993年1月11日放送開始[9]。 ※選抜高等学校野球大会中継期間中は、制作局のみ試合中止時を除き休止し、ネット局に向けて裏送りで放送した。[10]脚注[編集]
(一)^ 番組ディレクターが同局の深夜番組﹃テレビのツボ﹄に出演した際に披露。同番組の関連書籍﹃テレビのツボ﹄︵毎日放送テレビ制作局、ISBN 4-87892-043-2︶にその抄録が掲載されている。
(二)^ ﹃ザテレビジョン宮城・福島版﹄1992年9月30日、1993年9月22日発売分
(三)^ ﹃ザテレビジョン長野・新潟版﹄1992年9月30日発売分、﹃信濃毎日新聞朝刊﹄1993年4月2日テレビ欄、[終]マークあり。
(四)^ ﹃山梨日日新聞﹄1992年10月5日、1993年4月2日テレビ欄
(五)^ ﹃朝日新聞名古屋版﹄1992年10月5日、1993年4月2日テレビ欄
(六)^ ﹃ザテレビジョン岡山・四国版﹄1992年9月30日、1993年9月22日発売分
(七)^ ﹃朝日新聞西部版﹄1992年10月5日、1993年10月1日テレビ欄
(八)^ ﹃山陰中央新報﹄1993年4月2日テレビ欄、﹃ザテレビジョン広島・山口東・島根・鳥取版﹄1993年9月22日発売分
(九)^ ﹃ザテレビジョン熊本・長崎版﹄1992年12月22日、1993年1月6日発売分、﹃ザテレビジョン熊本・長崎・沖縄版﹄1993年9月22日発売分
(十)^ ﹃朝日新聞 名古屋版・大阪版﹄1993年4月2日テレビ欄
関連項目[編集]
毎日放送 月 - 金曜14:00~14:55 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
きらめきワイド |
レインボー
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スーパーワイド
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