ロッコ・ミーディエート
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Rocco Mediate | |
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基本情報 | |
名前 | ロッコ・ミーディエート |
生年月日 | 1962年12月17日(61歳) |
身長 | 185 cm (6 ft 1 in) |
体重 | 86 kg (190 lb) |
国籍 |
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出身地 |
![]() グリーンズバーグ |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | 米国6・国際1・米シニア3 |
ロッコ・ミーディエート︵Rocco Mediate、1962年12月17日 - ︶は、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州グリーンズバーグ出身のプロゴルファーである。
日本では、名前をメディエイトと記載されることもある。2008年の全米オープンで、プレーオフの末2位に入った。
経歴[編集]
少年時代のミーディエートは野球選手で、ゴルフに関心を持ち始めたのは高校時代だったという。南フロリダ大学を卒業し、1985年にプロ入り。1987年に24歳で初の賞金シードを獲得、1991年3月に﹁ドラルライダー・オープン﹂でプロ初優勝を達成。当時28歳だったミーディエートは、1988年・1989年の全米オープン優勝者カーティス・ストレンジとのプレーオフを制し、12アンダーパー︵-12, 276ストローク︶で初優勝を決めた。当時彼は長いパターを使用しており、﹁ロングパターでPGAツアーを制した最初の選手﹂として大きな話題を呼んだ。1992年にフランスの﹁ペリエ・フレンチオープン﹂で国際試合初優勝。1993年4月、﹁Kマート・グレーター・グリーンズボロ・オープン﹂でPGAツアー2勝目を獲得するが、この時もスティーブ・エルキントン︵オーストラリア︶とのプレーオフを制した。しかし、1994年に椎間板ヘルニアの手術を受け、ここで最初の危機が訪れた。 1999年1月末、ミーディエートは﹁フェニックス・オープン﹂で6年ぶりのツアー優勝を果たす。それから2000年6月の﹁ビュイック・オープン﹂を制し、2002年4月末の﹁グレーター・グリーンズボロ・クライスラー・クラシック﹂で9年ぶり2度目の優勝を遂げた。これで彼のPGAツアー優勝は﹁5勝﹂となったが、現時点ではこれを最後にツアーの優勝から遠ざかっている。この頃には、初優勝時に使っていたロングパターをやめて、通常の形のパターを使用するようになった。2004年に背中の故障が再発し、この年の賞金ランキングが176位に落ちるなど、ミーディエートの競技生活はけがとの闘いの連続だった。 2008年の全米オープンゴルフで、ロッコ・ミーディエートは予選会から出場した。この全米オープンを迎えるまで、彼は出場17大会のうち﹁8大会﹂しか予選を通過できず、全米開幕当時の世界ランキングも﹁158位﹂まで落ちていた。カリフォルニア州サンディエゴにある﹁トーリーパインズ・ゴルフクラブ﹂︵パー71︶のコースで、ミーディエートは4日間通算を1アンダーパー︵-1, 69+71+72+71=283ストローク︶で回った。最終第2組で回ったミーディエートは、テレビで最終組の2人、タイガー・ウッズとリー・ウエストウッドのプレーを見ていた。2人ともミーディエートに1打遅れて、イーブンパーで最終18番のグリーンに上がってきた。ウエストウッドはバーディーパットを外すが、ウッズが土壇場でバーディーパットを沈め、1アンダーパーでミーディエートに追いついた。こうして、全米オープン優勝の行方はミーディエートとウッズのプレーオフに持ち越される。全米オープンのプレーオフは、︵他のトーナメントと異なり︶もう1ラウンド︵18ホール︶プレーする方式で行われ、ここでも決着がつかなかった。プレーオフの19ホール目は、7番ホールに場を移す。ここでミーディエートがミスを犯し、このホールをボギーにしたため、パーで終了したウッズが6年ぶり3度目の全米オープン優勝を果たし、ミーディエートは﹁45歳6ヶ月﹂の最年長優勝者になるチャンスを逃した。左膝を痛めていた世界ランキング1位との﹁91ホール﹂に及んだ激闘で、2位になったミーディエートのプレーも高い評価を受けた。 2010年10月、47歳、賞金ランク182位で迎えたフライズドットコム・オープンでは4日連続でチップインイーグルを決めて、8年ぶりの優勝を果たし、シニア入りまでの2年間のシードを得た。大会初日に3番ホール︵191ヤード、パー3︶でホールインワン、2日目は4番ホール︵パー4︶で残り160ヤードの第2打を、3日目は15番ホール︵パー5︶で残り111ヤードの第3打をチップインイーグル。最終日は12番ホールまでに5つスコアを落として初日から守った首位を譲ったが、16番ホールでこの日初めてのバーディを奪い、迎えた17番ホール︵パー4︶で残り116ヤードの第2打がチップインイーグルとなり、4日間通算15アンダーパーで2位グループに1打差の優勝であった。 ゴルフバッグのパター以外のクラブには、ヘッドカバーを使わないことで有名。理由は、﹁ヘッドカバーを使うと、キャディの仕事を増やしてしまうし、多少の傷は気にならない﹂からとのこと。プロ優勝 (13)[編集]
PGAツアー優勝 (6)[編集]
No. | 年月日 | トーナメント | スコア | 打差 | 2位(タイ) |
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1 | Mar 4, 1991 | ドラル・ライダー・オープン | −12 (66-70-68-72=276) | Playoff | ![]() |
2 | Apr 25, 1993 | KMart Greater Greensboro Open | −7 (74-67-71-69=281) | Playoff | ![]() |
3 | Jan 31, 1999 | フェニックス・オープン | −11 (69-67-66-71=273) | 2打差 | ![]() |
4 | Aug 13, 2000 | ビュイック・オープン | −20 (68-64-70-66=268) | 1打差 | ![]() |
5 | Apr 28, 2002 | Greater Greensboro Chrysler Classic | −16 (68-67-66-71=272) | 3打差 | ![]() |
6 | Oct 17, 2010 | フライズドットコム・オープン | −15 (64-65-67-73=269) | 1打差 | ![]() ![]() |
PGAプレーオフ記録 (2–1)
No. | Year | Tournament | 相手 | 結果 |
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1 | 1991 | ドラル・ライダーオープン | ![]() |
1ホール目でバーディを取り勝利 |
2 | 1993 | KMart Greater Greensboro Open | ![]() |
4ホール目でバーディを取り勝利 |
3 | 2008 | 全米オープン | ![]() |
18ホールで決着付かず (ウッズ:71, ミーディエート:71) サドンデス1ホール目でウッズがパーを取り敗れる |
その他 (4)[編集]
- 1999 Callaway Golf Pebble Beach Invitational
- 2000 ウェンディーズ3ツアー・チャレンジ (with ノタ・ビゲイ3世 and フィル・ミケルソン)
- 2002 フランクリン・テンプルトン・シュートアウト (with リー・ジャンゼン)
- 2003 CVSケアマーク・チャリティクラシック (with ジェフ・スルーマン)
チャンピオンズツアー (3)[編集]
No. | 年月日 | トーナメント | スコア | 打差 | 2位(タイ) |
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1 | 2013年2月10日 | アリアンツ選手権 | −17 (67-61-71=199) | 2打差 | ![]() ![]() |
2 | 2013年9月1日 | ショーチャリティクラシック | −22 (63-64-64-191) | 7打差 | ![]() |
3 | May 29, 2016 | 全米プロシニアゴルフ選手権 | −19 (62-66-71-66=265) | 3打差 | ![]() |