三日月陣屋
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![]() (兵庫県) | |
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![]() 三日月陣屋の長屋門(復元) | |
別名 | 乃井野陣屋 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 森長俊 |
築城年 | 1697年 |
主な城主 | 森氏 |
廃城年 | 1871年 |
遺構 |
郭跡、石垣、水堀 移築物見櫓、復元長屋・門 |
指定文化財 | なし |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/Mikazuki_Jinya_A09_15.jpg/220px-Mikazuki_Jinya_A09_15.jpg)
歴史
[編集]
1697年︵元禄10年︶に美作津山藩森家は無嗣断絶となった。ただし、幕府は長継に新たに備中西江原藩2万石を与えることで、森氏の存続を許した︵のちに播磨国赤穂藩︶。その分家であった美作津山新田藩主森長俊は、播磨国佐用郡、揖西郡、宍粟郡65ヶ村1万5千石に領地替えされた。
翌1698年︵元禄11年︶に長俊は領地入りし、藩庁の陣屋と家臣屋敷の建設に着手した。その候補地が乃井野村であり、三日月陣屋である。1700年︵元禄13年︶にはほぼ完成した。以後森家は9代続き、俊滋の時明治維新を迎えている。戊辰戦争では官軍に付いて参戦している。
1871年︵明治4年︶の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体された。その中で物見櫓と長屋は小学校に移築され、公民館として使用されていた。
2003年︵平成15年︶物見櫓、長屋が原位置に戻され、付属する中御門、通用門、橋などが一体的に復元された。
2018年︵平成30年︶西法寺に移築されていた表門が原位置に戻されて整備された。
遺構
[編集]交通
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]関連資料
[編集]- 歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城」第4巻、学習研究社、2004年 ISBN 4056034427