出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "中洲流" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年8月) |
中洲流︵なかすながれ︶は、博多祇園山笠の運営における構成単位である流の一つである。福岡市博多区の中洲︵旧 東中洲︶を地盤とする流である。町名町界整理後の現行町名で構成される。
東中洲︵現在の中洲︶は、江戸期には魚町流︵福神流︶の一部とされていた。
戦前は、土居流の加勢町﹁東中洲︵中洲若︶﹂として山笠に参加していたが、昭和24年に加勢町から独立し﹁中洲流﹂として、ひとつの流となり現在に至る。
現在の博多七流に含まれる。
舁き山と飾り山を立て、飾り山は中洲繁華街を貫く中洲大通りに毎年建てられている。中洲五丁目から中洲一丁目で順番に当番町を送り、山笠の運営にあたる。中洲に本店を置く辛子明太子メーカーのふくやとは創業当時から縁が深い。
統一の長法被︵当番法被︶、水法被を着用する。
長法被︵当番法被︶は﹁中洲﹂の文字を図案化したデザインである。
水法被は、背中に中洲の文字。襟には﹁中洲若﹂。子供用の水法被の襟には﹁中洲子﹂と書かれている。
締め込みは紺や黒が多く見られる。
また、長法被︵当番法被︶を着用する際は、下着の代わりに水法被を着用する。これは中洲流独自の風習である。
構成町[編集]
新町名5ヶ町で構成されている。
●中洲一丁目
●中洲二丁目
●中洲三丁目
●中洲四丁目
●中洲五丁目
中洲〇丁目の中洲を省き、単に〇丁目と呼ばれる場合もある。
加勢町[編集]
●満津若
●翁若
●警固若
志賀海神社 参拝[編集]
志賀海神社の砂浜の真砂を、かつては﹁お汐井﹂として使っていた事から、中洲流は志賀海神社にお礼参りを行う。
この風習は、中洲流独自の風習である。
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、
中洲流に関連するカテゴリがあります。