久里洋二
表示
久里 洋二︵くり ようじ、1928年4月9日[1] - ︶は、日本のアニメーション作家、イラストレーター、絵本作家、洋画家。一コマ漫画家としても活動している。本名‥栗原 英夫︵くりはら ひでお︶[1]。
2016年以降、クリ ヨウジ、または姓名の間に中黒を入れたクリ・ヨウジの名義を併用して活動している[2]。
ほほえみ号
ファンタジア号
出版物
●1970年代から2003年6月まで 日本アップジョンの広報誌﹃SCOPE﹄表紙イラストレーション提供。36年間約436点を描いた[10]。うち61点が作品集となっている[11]。
●1980年 日本人で初めてスイスの美術雑誌﹃GRAPHIS﹄の表紙デザインを製作。
公共交通
●1983年 相模鉄道の横浜駅乗り入れ50周年記念ペイント列車﹁ほほえみ号﹂の外装デザインを担当。
●1988年 京浜急行電鉄の設立90周年記念ペイント列車の外装デザインを担当。
●1990年 ジェイアールバス関東・東京空港交通の2階建てバス﹁ファンタジア号﹂の外装デザインを担当。
テレビ番組ビジュアル
●気分はパラダイス - タイトルデザイン[12]
●24時間テレビ ﹁愛は地球を救う﹂ - 番組シンボルマーク﹁太陽と地球﹂[2]
略歴[編集]
福井県今立郡鯖江町︵のちの鯖江市︶出身[3]。父は軍人。陸軍幼年学校の受験に失敗後、旧制福井県立武生中学校︵のちの福井県立武生高等学校︶へ入学。中学時代に終戦を迎えた。1947年、京都市美術学校の入学試験に合格するが、父親が公職追放となり、学費の目処が立たなくなったために進学を断念し、郷里で様々な職業について家計を助けた[3][4]。この頃、横山泰三の漫画に心酔し、自身でも雑誌への投稿を重ねるが、一度も採用されなかった[3][4]。 横山への憧れが高じ、1950年に横山の住居・鎌倉市に近い藤沢市に移住[4]。藤沢には漫画家の利根義雄がおり、偶然知己を得た久里は、利根の紹介で横山や、演出家の丸尾長顕と知り合う[4]。横須賀税務署への勤務[5]を経て、1952年には利根の斡旋で共同通信社の画信室に転職し、写真や漫画などの画像素材を地方紙に販売する業務に従事した[4]。1954年、絵の勉強のために文化学院美術科と学校法人アテネ・フランセに入学[3]し、3年通学。この間に小島功率いる独立漫画派に入会し、雑誌の寄稿で学費を稼いだ[4]ほか、二科展への出品を開始した[3]。 1958年、読売新聞社会部の嘱託としてカット製作に従事[3]するかたわら、自身のアトリエ﹁久里実験漫画工房﹂を設立し、﹃久里洋二漫画集﹄を自費出版[3]。久里は用紙や製本素材選び、印刷業者・製本業者への搬入、配本をすべてひとりで行った[4]。久里は同作で第4回文藝春秋漫画賞を受賞した。 1960年、﹁久里実験漫画工房映画部﹂を設立し、アニメーションの自主制作を開始[3]。映画祭への出品や、テレビ番組・テレビCMなどへの提供を数多く行い、多数の賞を受賞した︵後述︶。1971年には日本アニメーション協会の設立メンバーとなる[6]。 2010年、郷里・鯖江市の郷土博物館﹁まなべの館﹂の名誉館長に就任した[6]。久里は同館にアニメーション作品の映像資料および油彩画・アクリル画を寄贈している[7]。受賞歴[編集]
●絵画 ●1958年 二科展特選︵油彩画﹃鎌倉カーニバル﹄︶[6] ●漫画 ●1950年 朝日広告賞第2部 佳作 ●1958年 第4回文藝春秋漫画賞︵﹃久里洋二傑作集﹄︶[4] ●2017年 第46回日本漫画家協会賞大賞カーツーン部門︵﹃クレージーマンガ﹄︶ - ﹁クリ・ヨウジ﹂名義[8] ●アニメーション ●1961年 第1回ACCCMフェスティバル漫画賞︵﹃ミツワ石鹸﹄︶ ●1962年 ヴェネツィア国際映画祭青銅賞︵﹃人間動物園﹄︶、アヌシー国際アニメ映画祭特別書査員賞︵﹃人間動物園﹄︶ ●1964年 ロカルノ国際映画祭特別賞︵﹃ザ・ボタン﹄︶ ●1965年 大藤信郎賞 ●1967年 オーバーハウゼン映画祭最優秀賞︵﹃殺人狂時代﹄︶、シカゴ映画祭グランプリ︵﹃殺人狂時代﹄︶、ヴェネツィア国際映画祭サンマルコ獅子賞︵﹃部屋﹄︶ ●1977年 ポーランド・クラカウ映画祭ドラゴンブロンズ賞︵﹃MANGA﹄︶ ●1993年 アヌシー国際アニメ映画祭功労賞 ●個人功労 ●1983年 紺綬褒章 ●1992年 紫綬褒章 ●2011年 旭日小綬章[9]主な作品[編集]
デザイン[編集]
アニメーション[編集]
下記のいくつかはDVD﹁久里洋二作品集﹂︵ジェネオン・エンタテインメント 2002年︶のほか、鯖江市﹁まなべの館﹂の常設展示[13]で見ることができる。映画祭出品作品など[編集]
- 二匹のサンマ(白黒版:1960年 カラー版:1968年)
- ファッション(1960年)
- 切手の幻想(1960年)
- 人間動物園(1962年)
- LOVE(1963年)
- ゼロの発見(1963年)
- あっちはこっち(1963年)
- 軌跡(1963年)
- ザ・ボタン(1963年)
- 椅子(1964年)
- AOS(1964年)
- 男と女と犬(1964年)
- 隣の野郎(1965年)
- 窓(1965年)
- 殺人狂時代(オリジナル版:1965年 海外版:1967年)
- さむらい(1966年)
- 部屋(1967年)
- 花(1967年)
- あなたはなにを考えているの(1967年)
- ケメ子のLOVE(1968年)
- 馬鹿馬鹿馬鹿な世界(1968年)
- G線上の悲劇(1969年)
- 世界はわがもの(1969年)
- 寄生虫の一夜(1972年)
- ザ・バスルーム(1972年)
- IMUS(1973年)
- POP(1974年)
- 木の上の生活(1974年)
- フロイトの木(1974年)
- 人口爆発(1976年)
- 進化(1976年)
- MANGA(1977年)
『みんなのうた』への映像提供[編集]
久里は日本放送協会︵NHK︶のテレビ番組﹃みんなのうた﹄の楽曲映像を、放送開始当初から1970年代前半まで多く手掛けた。
無印は映像がNHKに現存する曲。▲は映像現存が確認されていない曲。△は映像資料が現存しないが、水星社編集の﹃みんなのうた﹄楽譜集︵音楽之友社︶等に映像の一部が掲載されている曲。
●1.プンプンポルカ / 芦野宏
●2.熊ちゃんのピクニック / ボニージャックス▲
●3.赤鼻のトナカイ / ペギー葉山、東京放送児童合唱団▲
●4.たなをつくりましょう / ヴォーチェ・アンジェリカ、中原美紗緒▲
●5.きれいな帽子 / 芦野宏▲
●6.ピノキオの歌 / 楠トシエ△
●7.気のいいあひる / ボニージャックス△
●8.一・二・三… / 楠トシエ△
●9.デビークロケットの歌 / 弘田三枝子△
●10.サンタはどこにいる? / スリーグレイセス▲
●11.クラリネットこわしちゃった / ダークダックス
●12.キャンプ料理 / ダークダックス△
●13.トンチあそび / 天地総子、東京放送児童合唱団△
●14.お猿と鏡 / 天地総子、フレーベル少年合唱団△
●15.ひげのお医者さん / ボニージャックス△
●16.でか ちび のっぽ / 諏訪マリー、東京放送児童合唱団▲
●17.五匹のこぶたとチャールストン / 東京放送児童合唱団
●18.陽気にうたえば / ボニージャックス
●19.たのしいね / ヴォーチェ・アンジェリカ、杉並児童合唱団
●20.はさみとぎ / 友竹正則、杉並児童合唱団
●21.フリッパー / 西六郷少年少女合唱団▲
●22.すてきな夢を / 弘田三枝子、東京放送児童合唱団▲
●23.早口ことばのうた / ボニージャックス△
●24.あわて床屋 / ボニージャックス▲
●25.ちびっこカウボーイ / 弘田三枝子、ひばり児童合唱団
●26.ママとゴーゴー / 弘田三枝子、杉並児童合唱団△
●27.がちょうのおばさん / ダークダックス▲
●28.怪獣がやってくる / 弘田三枝子、みすず児童合唱団
●29.アマリリス / 弘田三枝子、シンギングエンジェルス
●30.山寺の和尚さん / ボニージャックス▲
●31.鬼のねがい / 友竹正則、みすず児童合唱団
●32.あそぼうよ / ピンキーとキラーズ▲
●33.森の熊さん / ダークダックス
●34.洗濯ジャブジャブ / ダークダックス
●35.カッパのクィクォクァ / 一谷伸江、デューク・エイセス
●36.われわれは宇宙人だ! / らいふ
久里が制作した同番組映像の大半は現存が確認されていない。2011年から始まった﹁みんなのうた発掘プロジェクト﹂によって、﹃クラリネットこわしちゃった﹄と﹃はさみとぎ﹄のカラー版の映像と、﹃鬼のねがい﹄と﹃カッパのクィクォクァ﹄の映像が発見され、﹃クラリネットこわしちゃった﹄は2014年1月にお楽しみ枠、﹃はさみとぎ﹄のカラー版は2015年4月~5月、﹃カッパのクィクォクァ﹂は2016年1月にお楽しみ枠で再放送された。
2014年、﹃われわれは宇宙人だ!﹄で、39年ぶりにみんなのうたの映像を手掛けた。
その他のアニメーション作品[編集]
●11PM︵日本テレビ系列、1966年 - 1982年︶[1] - 月曜日恒例の短編アニメコーナー﹁久里洋二のミニミニアニメーション﹂を担当[2]。 ●ひょっこりひょうたん島︵NHK総合テレビジョン、1964年 - 1969年、1991年 - 1992年、1991年 - 1993年、1996年︶ - タイトルシークェンス[2] ●日本万国博覧会 化学工業館・電力館 外壁アニメーション︵1970年︶作品が見られる所[編集]
●鯖江市﹁まなべの館﹂[13] 福井県鯖江市長泉寺町1丁目9-20。福井鉄道西山公園駅そば。 ●公立丹南病院 福井県鯖江市三六町1丁目2-31 福井鉄道神明駅から徒歩3分。 ●久里洋二の世界 GALLERY K 福井県鯖江市糺町16-18。福井鉄道神明駅から徒歩21分。 ●長岡赤十字病院 新潟県長岡市千秋2-297-1 12階レストラン壁画﹁長岡の四季﹂著書[編集]
●ブルンブルンおくつ︵岩崎書店ポニー・ブックス 1963年︶ ●女は便利な動物 久里洋二漫画集︵技術出版 1965年︶ ●ヨーロッパ漫画旅行 キャビアとビフテキと︵おおば比呂司共著 大光社 1967年︶ ●英語なぞなぞえほん︵講談社 1969年︶ ●人間動物園︵美術出版社 1979年︶ ●思索ナンセンス選集4久里洋二のユーモア世界 世紀末ナンセンス︵思索社 1984年︶ ●食前、キキ一発!︵新潮社 1984年︶ ●神様たちのスケジュール 久里洋二のミニミニ夢劇場︵評伝社 1990年︶ ●久里洋二作品集︵求竜堂 1991年︶ ●どんじり︵いんなあとりっぷ社 1991年︶ ●海と島のファンタジー 絵&エッセイ︵ユージン伝 1992年︶ ●二世ファーブル昆虫記︵新潮社 1992年︶ ●久里洋二の世界 エロスとユーモアの人間図鑑︵池田20世紀美術館 1994年︶ ●ゴキブリちゃん︵ARTBOXインターナショナル 2004年︶ ●ボクのつぶやき自伝 @yojikuri︵新潮社 2012年︶ ●クレージーマンガ︵ふゅーじょんぷろだくと、2016年︶ - ﹁クリ・ヨウジ﹂名義 上記のほか、絵本などへのイラスト提供多数。展覧会・イベント等[編集]
●1982年 山梨県立美術館﹁愛とユーモア 久里洋二世界展﹂ ●1985年 ベルギー・ゲント市で﹁久里洋二個展﹂ ●1986年 ニューヨーク近代美術館特別企画展﹁ANIMATED FILM BY KURI﹂ ●1988年 パリ市立近代美術館﹁久里洋二 スペースアート展﹂ ●1994年 池田20世紀美術館﹁エロスとユーモアの人間図書展﹂ ●1996年 SCOPE誌表紙絵30年の軌跡﹁久里洋二の雄大な空想世界展﹂ ●1998年 ドイツ・シュトゥットガルトで久里洋二アニメ回順展、個展 ●1998年 ﹁久里洋二60年代グラフィティー特集﹂ ●1999年 ﹁世紀末の日本人1000人の肖像画﹂ ●2000年 ﹁メルヘンとファンタジーの世界﹂﹁久里洋二の太陽﹂﹁Scope表紙絵原画展﹂ ●2008年 ラピュタ阿佐ヶ谷主催﹁アートアニメーションの小さな学校﹂講師 このほか、﹁久里実験漫画工房映画部﹂設立と同年の1960年、柳原良平、真鍋博と﹁アニメーション三人の会﹂を結成し、草月ホールで定期的に上映会を行った。脚注[編集]
(一)^ abc﹃久里洋二﹄ - コトバンク
(二)^ abcdGEORAMA2017-18 presents 2018 チャネリング・ウィズ・ミスター・クリヨウジ WWW、2018年6月19日
(三)^ abcdefghYoji Kuri Biographyクリワールドアート
(四)^ abcdefgh峯島正行﹃ナンセンスに賭ける﹄︵青蛙房、1992年︶pp.97-103
(五)^ 遠藤周作﹃ぐうたら会話集3﹄︵角川文庫、1974年︶p.150 - 著者と丸尾長顕の対談
(六)^ abcまなべの館︵博物館︶常設展 クリヨウジ 鯖江市
(七)^ まなべの館︵博物館︶常設展 クリヨウジ作品集 鯖江市
(八)^ 日本漫画家協会賞 第46回︵2017年度︶ 日本漫画家協会
(九)^ 日本アニメ、世界に広めた先駆者…久里洋二さん 読売新聞、2011年6月18日 アーカイブ 2011年6月19日 - ウェイバックマシン
(十)^ “久里洋二﹁ガラステーブル﹂|現代アート販売(通販)のタグボート”. ec.tagboat.com. 2021年8月25日閲覧。
(11)^ 久里洋二作品集 求龍堂 (1991)の本人によるあとがき
(12)^ [1]
(13)^ abまなべの館︵博物館︶常設展 鯖江市
外部リンク[編集]
- クリワールドアートオフィシャルホームページ
- クリヨウジ(久里洋二)オフィシャル (@yojikuri2016) - X(旧Twitter)
- クリ ヨウジ (yoji.kuri) - Facebook
- 久里洋二・クリヨウジのコロコロマロン - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分) - 2006年9月から2009年3月までのブログ
- わたしのブログ - 2006年10月から2012年1月までのブログ