乙部町
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おとべちょう ![]() 乙部町 | |||||
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国 |
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地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(檜山振興局) | ||||
郡 | 爾志郡 | ||||
市町村コード | 01364-1 | ||||
法人番号 | 1000020013641 | ||||
面積 |
162.59km2 | ||||
総人口 |
3,181人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年6月30日) | ||||
人口密度 | 19.6人/km2 | ||||
隣接自治体 |
檜山郡江差町、厚沢部町、 二海郡八雲町 | ||||
町の木 | スギ | ||||
町の花 | ユリ | ||||
町の鳥 | なし | ||||
乙部町役場 | |||||
町長 | 寺島努 | ||||
所在地 |
〒043-0103 北海道爾志郡乙部町緑町388 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度座標: 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度 | ||||
外部リンク | 乙部町 | ||||
ウィキプロジェクト |
乙部町︵おとべちょう︶は、北海道南西部、檜山振興局中部にある日本海に面した町。爾志郡に属する。
概要[編集]
渡島半島上に位置する町であり、西に日本海を臨む。本町の南に位置する江差町などと共に、江戸時代中期頃からにしん漁の漁港として栄えた。町名の由来[編集]
町名はアイヌ語の﹁オトウンペ﹂︵河口に沼のある川︶に由来する。その川は現在の姫川である。地理[編集]
北緯41°58、東経140°08。南は江差町、北は八雲町熊石地区に隣接し、東は乙部岳、突符岳を背に厚沢部町とも境界をなす。町域は東西17.3km、南北15.6kmで、総面積は162.53km2である。全体が波状性丘陵地であり、海岸線まで山が迫り平野部は少ない。町域海岸部の大半は檜山道立自然公園に指定されている。海岸沿いに国道229号線が走り、町域全体の81%が山林であり、人口は海岸部の集落に集中している。町政施行は昭和40年で、人口も1万人を超えたこともある。役場の所在地は、檜山振興局が所在する江差町、厚沢部町役場へ12km、上ノ国町役場へは18km、せたな町には60km、今金町には80km、渡島総合振興局の所在する函館市から71kmの位置にあり、隣接する八雲町役場には約60kmである。管内他町と同様、漸次人口減の傾向を見せている。- 山:乙部岳(1017 m)、九郎岳(970 m)
- 河川:姫川
- 岬:突符岬、鮪ノ岬、館ノ岬
隣接している自治体[編集]
人口[編集]
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乙部町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 乙部町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 乙部町 |
■青色 ― 男性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
乙部町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
沿革[編集]
●縄文時代より栄える。 ●1617年(元和3年) 花磯諏訪神社が建立される(史誌では1704年)。 ●1741年(寛保元年) 松前沖で噴火と津波。 ●1902年(明治35年) 乙部村、小茂内村、突符村、三ツ谷村、蚊柱村が合併し、二級町村制施行、乙部村となる ●1939年(昭和14年)4月1日 村内の5大字を廃止、15行政字に再編。 ●乙部村 → 元町、緑町、滝瀬、館浦、姫川、旭岱 ●小茂内村 → 鳥山、富岡 ●突符村 → 栄浜、栄野、元和 ●三ツ谷村 → 三ツ谷、潮見 ●蚊柱村 → 花磯、豊浜、潮見 ●1965年10月1日 町制施行、乙部町となる。姉妹都市・提携都市[編集]
姉妹樹‥中華人民共和国湖南省張家界市・武陵源︵世界遺産︶内の﹁重歓木﹂ / 森の巨人たち百選選定﹁縁桂﹂︵互いに連理の木である。︶経済[編集]
●漁業はイカ、サクラマス、延縄漁で行なうスケトウダラなどが中心。ひやま漁業協同組合の本所がある。 近年は、ウニ、ナマコの増殖にも手掛けている。 ●農業は、イネ、食用百合根、ジャガイモ、イチゴ、ブロッコリー、黒千石大豆をはじめとする大豆など。 ●二次産業としては、水産加工業をはじめ、CAC化粧品の工場がある。立地企業[編集]
●札幌酒精工業︵おとべワイン︶ ●CAC乙部工場 ●㈱マルサ笹谷商店 乙部工場 ●㈱小川商店 乙部工場農協・漁協[編集]
●新函館農業協同組合︵JA新はこだて︶乙部支店 ●ひやま漁業協同組合︵本所︶金融機関[編集]
●道南うみ街信用金庫乙部支店郵便局[編集]
●乙部郵便局︵集配局︶ ●豊浜郵便局宅配便[編集]
●ヤマト運輸‥函館主管支店江差かもめ島センター︵江差町︶ ●佐川急便‥江差営業所︵江差町︶ ●日本通運‥函館支店自動車営業課︵函館市︶公共機関[編集]
警察 ●江差警察署 ●乙部駐在所 ●豊浜駐在所 林野庁 ●檜山森林管理署乙部上級森林事務所 消防 ●檜山広域行政組合乙部消防署教育[編集]
乙部には、近代以前から和人が居住していたので、本州同様居住者対象の寺子屋は存在していた。 記録は散逸して定かではないが、1850年︵嘉永3年︶には寺院利用の寺子屋があったという記述が残されている。小学校[編集]
明治時代、﹁学制﹂の施行により、開拓使の手により、学校の開設は進められていった。乙部においては、各村からの拠出金により、学校は次々と開設されていったようである。1878年︵明治11年︶頃には、乙部学校︵乙部村︶、突符学校︵突符村︶、三ツ谷学校︵三ツ谷村︶、小茂内学校︵小茂内村︶蚊柱学校︵蚊柱村︶がそれぞれ開校している。突符学校では特に向突符︵元和︶は遠隔であるとして分校を設け、1882年︵明治15年︶に愛教学校として開校している。その後、学校制度改正に合わせて変遷し、戦後の学制改革によって、新制小学校として、乙部小学校、姫川小学校、姫川小学校富岡分教場、栄浜小学校、栄浜小学校元和分校、明和小学校が発足した。 その後、少子高齢化等の児童数減少により、元和分校・富岡小︵中︶学校がそれぞれ休廃校し、2011年︵平成23年︶3月、姫川小学校が115年の歴史に幕を閉じ、児童は乙部小学校に編入した。また、2022年︵令和4年︶3月、栄浜小学校も乙部小学校に編入された。 ●乙部町立乙部小学校 ●乙部町立明和小学校中学校[編集]
戦後の学制改革によって、新制中学の設置が見られ、乙部中学校、栄浜中学校、姫川中学校、明和中学校がそれぞれ小学校に併設されて発足した。1950年︵昭和25年︶には、富岡分教場が中学校併置で分離独立して富岡小中学校となり、昭和30年代までに各中学校も独立校舎を新築している。その一方で、生徒減や校舎の老朽化、交通の改善で学校の統廃合が行われ、1981年︵昭和56年︶に元和分校が廃校、1997年︵平成9年︶には富岡小中学校は休校となった。 2003年︵平成15年︶、過疎化による人口減や少子化による生徒数の減少を考慮し、町内の5中学校︵休校中の富岡中含む︶の統合計画が確定し、2004年︵平成16年︶より町内中学校が統合、新設﹁乙部中学校﹂が新校舎と共に町内唯一の中学校として発足した。 2006年度︵平成18年度︶、高齢者等の生活弱者に対する雪かきなどのボランティア﹁猫の手活動﹂や、地域の総合的学習を積極的に推進し、それが評価され、北海道教育実践表彰を受けた。 ●乙部町立乙部中学校高等学校[編集]
1949年︵昭和24年︶、北海道江差高等学校の乙部分校から独立して、定時制高校として北海道乙部高等学校が発足したが、昭和40年代半ばから、親の教育ニーズの変化や人口の流失等で入学者減が進み、江差、乙部、厚沢部、上ノ国の4町が結成した﹁檜山南部地区高校整備促進期成会﹂が、江差高校・厚沢部高校・乙部高校を統廃合する事を検討し、合意に至った。定時制高校としての乙部高校は、1982年︵昭和57年︶に最後の卒業生6人を送り出し閉校となった。交通[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ed/Michinoeki_Route_229_Genwadai.jpg/280px-Michinoeki_Route_229_Genwadai.jpg)