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この項目では、水沢伊達家当主について説明しています。登米伊達家の初代当主については「白石宗直」をご覧ください。 |
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伊達 宗直︵だて むねなお︶は、江戸時代前期の武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家3代︵留守氏20代︶当主。
寛永3年︵1626年︶、水沢伊達家2代当主・伊達宗利の嫡男として誕生[1]。
寛永15年︵1638年︶8月、父・宗利の死去に伴い13歳で家督を相続し、水沢城主となる。寛永21年︵1644年︶、寛永検地の結果を受けて3,000石を加増され、知行高が13,000石となる。宗直は、宗利が進めていた水沢城下町の整備を引き継ぐと共に、キリシタンからの改宗を拒んで仙台藩から出奔した福原館主・後藤寿庵の旧臣87人を家中に加えて新田開発に従事させるなど︵福原足軽︶、水沢領の本格的な開発に取り組んだ。その結果、寛文2年︵1662年︶6月10日には切添新田︵拡張開墾地︶として1,277石が加増された。
寛文3年︵1663年︶5月3日死去。享年38。嫡男・宗景が家督を相続した。
- ^ 水沢伊達氏の水沢城入部は寛永6年(1629年)で、この時点で宗利はまだ金ヶ崎城主である。
関連項目[編集]