佐藤與三
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佐藤 與三(さとう よぞう、1843年(天保14年8月[1]) - 没年不詳)は、明治期の商工官僚。官選群馬県知事。
経歴
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長門国阿武郡萩平安湖町︵現萩市︶に生まれる[2]。
明治5年︵1872年︶工部省五等出仕に任官。さらに鉄道助・燈台権守を務めた。1873年、燈台頭に昇進。以後、工部大書記官として、鉱山権頭、鉱山局長、内国勧業博覧会審査部長、工作局長、総務局鉱山課長、品川硝子製造所長、参事院員外議官補などを歴任[2]。
1884年7月30日、群馬県令に就任[3]。1886年7月19日、地方官官制改正に伴い同県知事となる。明治21年︵1888年︶6月限りで廃止とされた公娼について、同年5月に廃娼延期令を発布し、世論の反発を受けて廃止の期限を限るなどの妥協を行うが、県会から辞職を迫られ議会解散を行う。しかしその結果は解散前とほぼ同じ大勢となり、1891年の臨時県会で知事辞職勧告が可決された[4]。そのため、同年4月9日、知事を非職となる[5]。1893年2月21日、依願免本官[6]︵諭旨退官[7]︶となり退官した。
栄典・受章・受賞
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1885年(明治18年)4月7日 - 勲四等旭日小綬章[11]
- 1888年(明治21年)5月29日 - 勲三等旭日中綬章[12]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[13]
脚注
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(一)^ ﹁群馬県所属官吏明治二十五年四月一日現員調書﹂
(二)^ ab﹃群馬県人名大事典﹄241頁。
(三)^ ﹃官報﹄第4639号、明治31年12月15日。
(四)^ ﹃新編日本の歴代知事﹄283頁。
(五)^ ﹃官報﹄第2330号、明治24年4月10日。
(六)^ ﹃官報﹄第2892号、明治26年2月22日。
(七)^ ﹁非職群馬県知事佐藤与三依願本官被免ノ件﹂
(八)^ ﹃官報﹄第354号﹁叙任及辞令﹂1884年9月1日。
(九)^ ﹃官報﹄第1003号﹁叙任及辞令﹂1886年11月1日。
(十)^ ﹃官報﹄第2898号﹁叙任及辞令﹂1893年3月1日。
(11)^ ﹃官報﹄第536号﹁賞勲叙任﹂1885年4月18日。
(12)^ ﹃官報﹄第1476号﹁叙任及辞令﹂1888年6月2日。
(13)^ ﹃官報﹄第1929号﹁叙任及辞令﹂1889年12月2日。
参考文献
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●歴代知事編纂会編﹃新編日本の歴代知事﹄歴代知事編纂会、1991年。
●秦郁彦編﹃日本官僚制総合事典‥1868 - 2000﹄東京大学出版会、2001年。
●﹃群馬県人名大事典﹄上毛新聞社、1982年。
●内閣﹁非職群馬県知事佐藤与三依願本官被免ノ件﹂明治26年。国立公文書館 請求番号‥本館-2A-018-00・任B00002100
●﹁群馬県所属官吏明治二十五年四月一日現員調書﹂ アジア歴史資料センター Ref.A07061557100
公職 | ||
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![]() 1883年 |
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先代 佐野常民 |
![]() 1873年 - 1876年 |
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