入江則賢
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入江 則賢︵いりえ のりかた、文政2年12月18日︵1820年2月2日︶ - 明治23年︵1890年︶8月23日︶は、幕末の地下人。入江則恭の子。
一条家の諸大夫。天保6年︵1835年︶元服して正六位上土佐守に叙任され、天保12年︵1841年︶内蔵助、弘化4年︵1847年︶雅楽頭を歴任。
勤皇活動に従事したために、安政5年︵1858年︶安政の大獄で捕われる。安政6年︵1859年︶江戸に送られ、一条忠香に入説した事を咎められて、中追放刑となった。文久2年︵1862年︶大赦によって許され、翌文久3年︵1863年︶復位する。元治元年︵1864年︶従四位上となり、慶応3年︵1868年︶兵部権少輔に任じられている。
墓所は京都府京都市左京区の知恩寺善導院。