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﹃六合雑誌﹄︵りくごうざっし︶は、1880年︵明治13年︶に東京市で発行された、キリスト教定期刊行物である。
1880年に東京青年会(後の東京YMCA)が、小崎弘道、井深梶之助、田村直臣、植村正久らにより日本の超教派的な働きとして始められる。その秋、1880年10月にキリスト教界の総合雑誌として、六合雑誌が刊行される。これは、超教派で協力して、キリスト教を研究し、修身の道を講じ世の誤謬を明らかにして、キリスト教の真理を世に公にしようとするものであった。
1881年5月号に掲載された小崎弘道の﹁近世社会党ノ原因ヲ論ス﹂は、日本で初めてマルクス主義を紹介した文献といわれている[1]。
1883年6月に創立された警醒社は六合雑誌の刊行を、青年会から引き継いだ。その後、組合教会の執筆者が増えた。
1898年にユニテリアンの機関紙﹃宗教﹄と合併して、日本ゆにてりあん弘道会から発行された。1900年には三並良が編集長になる。
1921年︵大正10年︶2月発行の第41巻第2号で終刊[1]。
主な執筆者[編集]
参考文献[編集]
外部リンク[編集]