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●永保3年︵1083年︶、法勝寺造仏の功で法橋に任じられる
●康和3年︵1101年︶、鳥羽御堂で造仏し、柱絵を描く。仏画にも秀でていたようだが、現存仏画は確認できない。この功により法眼に叙される
●康和4年︵1102年︶、尊勝寺造仏の功で仏師として最高位の法印に上る。祇園社塔、金剛峰寺大塔、法成寺、白川新堂などでも造仏に参加
●天永4年︵1113年︶、京都清水寺の別当職に任命されるが、奈良興福寺の反対で断念。
現存作品は極めて少ない。
●仁和寺薬師如来像︵旧北院本尊、1103年︵康和5年︶製作︶長円を率いて製作した小像。
参考文献[編集]
●谷信一﹁円勢法印考 木仏師研究の一節とし﹂﹃美術研究﹄30号
●伊東史朗﹁仁和寺旧北院本尊 薬師如来檀像について﹂﹃仏教芸術﹄177号
●﹁日本人名大辞典﹂講談社
●﹁朝日日本歴史人物事典﹂朝日新聞社
外部リンク[編集]
●平安時代仏師概論 - ウェイバックマシン︵2005年1月4日アーカイブ分︶
関連項目[編集]
●北法相宗
●兼慶