刁敏謙
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刁敏謙 | |
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![]() Who's Who in China 3rd ed. (1925) | |
プロフィール | |
出生: | 1888年(清光緒14年) |
死去: | 不詳 |
出身地: |
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職業: | 学者・ジャーナリスト・外務官僚 |
各種表記 | |
繁体字: | 刁敏謙 |
簡体字: | 刁敏谦 |
拼音: | Diāo Mǐnqiān |
ラテン字: | Tiao Min-ch'ien |
和名表記: | ちょう びんけん |
発音転記: | ディアオ ミンチエン |
刁 敏謙︵ちょう びんけん︶は中華民国の学者・ジャーナリスト・外務官僚。字は徳仁。兄に外交官の刁作謙。
事績[編集]
幼年時代に父に従ってホノルルに移る。その後帰国して上海の私立聖ヨハネ大学で学び、卒業後はイギリスに留学し、ロンドン大学で法学博士の学位を取得した。まもなく駐イギリス公使館編纂員として登用されている。 1916年︵民国5年︶に帰国し、公立北京清華学校教授に任命され、翌年には北京の英文紙﹃導報﹄の総編輯となっている。1919年︵民国8年︶に清華学校教授に戻り、その翌年には国際連盟中国代表団専門員に任ぜられた。1921年︵民国10年︶、ワシントン会議中国代表団秘書を務める。翌年帰国して、北京政府の外交部で任用され、中俄︵中ソ︶会議議事宜督弁公署科長、中国法権調査委員会秘書、関税特別会議籌備処会弁などを歴任し、また、雑誌﹃中国社会和政治科学評論﹄の総編輯となっている。 1929年︵民国18年︶からは国民政府でも任用され、外交部参事、同部情報司司長を歴任した。1932年︵民国21年︶4月、僑務委員会僑務管理処処長に任ぜられたが、僅か1月で辞任、北平で弁護士を開業した。1933年︵民国22年︶8月、カナダで開催された第4回太平洋問題調査会に中国代表として参加している。同年末に外交部特別宣伝委託を任せられ、翌1934年︵民国23年︶に外交部顧問となった。 これ以降の具体的な動向、没年等は不詳である。著書に﹃中国国際条約義務論﹄などがある。参考文献[編集]
●徐友春主編﹃民国人物大辞典 増訂版﹄河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
●劉国銘主編﹃中国国民党百年人物全書﹄団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
●東亜問題調査会﹃最新支那要人伝﹄朝日新聞社、1941年。
●劉寿林ほか編﹃民国職官年表﹄中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。