コンテンツにスキップ

切岸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三沢城本丸北側の切岸(島根県仁多郡奥出雲町

切岸(きりぎし)とは、斜面を削って人工的な急傾斜の断崖とし、斜面下からの敵の侵入を防ぐために造られた防御施設の一つである。日本では鎌倉時代から戦国時代にかけての、特に山城で多く造られた。

概要

[編集]



[1][2][3]200214調1415使[4]

脚注

[編集]
  1. ^ 赤星 1972
  2. ^ 岡 2004 pp.41-64
  3. ^ 齋藤 2006
  4. ^ 「国指定史跡 名越切通」 逗子市公式HP

参考文献

[編集]
  • 赤星直忠 1959「鎌倉の城郭」『鎌倉市史(考古編)』鎌倉市
  • 赤星直忠 1972「逗子市お猿畠大切岸について」『神奈川県文化財調査報告書34集』神奈川県教育委員会
  • 岡陽一郎(五味文彦・馬淵和雄編)2004「幻影の鎌倉城」『中世都市鎌倉の実像と境界』pp.41-64 高志書院
  • 齋藤慎一 2006『中世武士の城』吉川弘文館

関連項目

[編集]