切石駅
表示
切石駅 | |
---|---|
![]() ホーム(2008年8月) | |
きりいし Kiriishi | |
◄鼎 (2.0 km) (1.6 km) 飯田► | |
![]() | |
所在地 |
長野県飯田市鼎切石[1] 北緯35度30分44.47秒 東経137度48分32.60秒 / 北緯35.5123528度 東経137.8090556度座標: 北緯35度30分44.47秒 東経137度48分32.60秒 / 北緯35.5123528度 東経137.8090556度 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 |
![]() |
キロ程 | 127.7 km(豊橋起点) |
電報略号 | キリ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
107人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1926年(大正15年)12月17日[1][2] |
備考 |
駅員無配置駅[1] 標高:493m[1] |
切石駅(きりいしえき)は、長野県飯田市鼎切石にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である[1]。
歴史
[編集]
●1926年︵大正15年︶12月17日‥伊那電気鉄道伊那八幡 - 飯田間延伸時に切石停留場として開設[1][2]。旅客駅[2]。
●1943年︵昭和18年︶8月1日‥伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化、鉄道省︵後の日本国有鉄道︶に移管[3]。同時に切石駅に昇格[2]。
●当時は、東海道本線浜松 - 名古屋間の各駅や飯田線の各駅、中央本線上諏訪 - 塩尻間の各駅、松本駅を発着する旅客のみ利用出来た。
●1954年︵昭和29年︶12月1日‥東京都区内の各駅、長野駅を発着する旅客も利用可能となる[2]。
●1971年︵昭和46年︶2月1日‥旅客発着駅制限撤廃[2]。同時に無人駅化[4]。
●1987年︵昭和62年︶4月1日‥国鉄分割民営化に伴い、JR東海の駅となる[2][5]。
駅構造
[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。半径160mと言う急曲線外側にホームが設置されているため、停車時には車両とホームの間に隙間ができる[1]。特に車両中央付近のドアから乗降する際には、足元の注意が必要である。︵車内放送やホーム表示ではなるべく車両前後のドアからの乗降を呼び掛けている。︶半径140mの曲線上に位置していた田切駅の移転により、飯田線の駅では最も急なカーブをえがくホームを有する駅となった。[6]
飯田駅管理の無人駅で駅舎は無く、ホーム上に待合所がある。
利用状況
[編集]1日平均乗車人員は以下の通り。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2003 | 240 |
2004 | 222 |
2005 | 214 |
2006 | 219 |
2007 | 229[1] |
2008 | 212 |
2009 | 200[1] |
2010 | 169 |
2011 | 182 |
2012 | 173 |
2013 | 144 |
2014 | 133 |
2015 | 132 |
2016 | 120 |
2017 | 116 |
2018 | 107 |
2019 | 226[7] |
駅周辺
[編集]隣の駅
[編集]脚注
[編集]
(一)^ abcdefghijkl信濃毎日新聞社出版部﹃長野県鉄道全駅 増補改訂版﹄信濃毎日新聞社、2011年7月24日、214頁。ISBN 9784784071647。
(二)^ abcdefg石野哲︵編︶﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄JTB、1998年、105頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(三)^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、15頁
(四)^ ﹁通報 ●飯田線切石駅の駅員無配置について︵旅客局︶﹂﹃鉄道公報﹄日本国有鉄道総裁室文書課、1971年1月30日、5面。
(五)^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、17頁
(六)^ 飯田線線路図 静岡鉄道管理局 1977年
(七)^ “切石駅︵JR東海︶の乗降客数の統計”. statresearch.jp. 2022年10月30日閲覧。