利用者‐会話:まさぼう
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歓迎します。--ようこそ 2006年3月18日 (土) 09:14 (UTC)
主観云々[編集]
森嶋猛を拝見させていただきました。主観要素を排し、文章を短くさせようと苦心されたようですが、形容詞を必要以上に排除した結果、無味乾燥で逆に分かりにくくなった部分︵特に技︶が多々あると判断し、調整しながら復帰させていただきました。あくまで分かりやすく表そうとする言葉まで﹁主観﹂と言ってしまっては文章が成り立たないと私は思います。それと、正確に言えば主観ではなくWikipedia:中立的な観点での問題ですが、評価と主観は表裏一体です。人を記すには世間一般・専門家の評価は必要不可欠でありますが、極論ではそれでさえ主観です。よって、事実としてあった評価を記す場合、どう記すのかが問題となります。﹁そもそも評価なんていらん﹂てのはナシとして、肯定批判もないのにわざわざ枕詞の如く﹁ファンが﹂とつければそれでいいのか?ということになります。まあ、現状それしかないんですがね。それが、森嶋猛の結果です。はい、私もよく分かりません。レイ・アフロ 2006年4月9日 (日) 07:40 (UTC)
レイ・アフロ様、こんにちは。主観は主観、評価は評価です。﹁議論の余地なく従うべき﹂とされる中立的な観点では﹁主観=︵筆者の︶意見﹂と言い換えられ、﹁記述してはならない﹂と説明されています。﹁小橋はGHCのベルトを巻いた﹂は事実ですが、﹁小橋は強い﹂は意見です。﹁苦労して巻いた﹂や﹁激闘の末巻いた﹂も意見です。戻された部分で例に挙げると、﹁駆使する﹂などは﹁使いこなす﹂という意味ですから、﹁使いこなしているかどうかは誰の判断ですか﹂ということになります。﹁使う﹂なら事実ですから問題ありません。﹁こじんまりとした印象が強かった﹂や﹁えげつない﹂、﹁恐ろしい角度﹂も同様です。誰の意見ですか。読者に誰しもがそう思っていると勘違いをさせるかもしれません。﹁誰々から評された﹂のならばそう記述すればよいですし、それができなければ主観の押し付けか、そもそも不要な文章なのでしょう。言葉を濁さないもご覧いただいていると思います。最も考慮すべきはWikipediaの中立性ではないでしょうか。--まさぼう 2006年4月10日 (月) 10:36 (UTC)
そこまでいくと言葉一つに考えすぎだなあ、とは思うのですけれども、しかし否定しようも無いので直しておきます。いやあ、難しいものですね。レイ・アフロ 2006年4月13日 (木) 08:54 (UTC)
耳を傾けていただいて、ありがとうございます。ぼくの文章も、自分のウエブサイトでは主観が満ちています。Wikipediaに参加する者が守るべきけじめとして、自分への戒めも込めて書かせていただきました。これからもWikipediaライフを楽しみましょう。--まさぼう 2006年4月14日 (金) 09:27 (UTC)