利用者‐会話:竹田
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ウィキペディアにようこそ![編集]
こんにちは、竹田さん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!
●ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
●よろしければ自己紹介してみてください。
●お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
●執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
●何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年8月10日 (木) 22:30 (UTC)
はじめまして、Suisuiさん。
Wikipediaに関しては初心者なので、これからいろいろと勉強していこうと思います(さっそくページ移動で失敗をしてしまいましたが)。
いろいろアドバイスをありがとうございます。竹田 2006年8月12日 (土) 15:03 (UTC)
竹田さん、こんにちは。上記依頼の議論が始まっている事と、その中でCUについての提案を私がさせて頂きました事をご案内します。--コリアンジャパニーズ 2007年3月18日 (日) 16:40 (UTC)
お知らせくださってありがとうございます。見に行きますね。竹田 2007年3月27日 (火) 12:51 (UTC)
クリーブランドの改名について[編集]
ノート:クリーブランドでの改名提案への議論参加でお見かけいたしました。11月6日03:02の竹田さんのコメントで、ご自身を門外漢とおっしゃっておりますが、改名議論の継続を望まれているのは何故でしょうか。Clarin氏以外には改名賛成派の方はいない?ようで、︵竹田さんも改名にご賛成かもしれませんが︶改名を実施する場合には、1つ1つのリンク元の修正という大変な量の作業が必要になります。これをご自身一人となってしまう可能性もありますが、おやりになる意思をお持ちでしょうか。ノート:ブレストなどのように、合意が簡単に形成された場合は移動することも差し支えないと思いますが。クリーブランド・インディアンズの存在などからアメリカのものが日本では最もなじみが深いと思いますが、en:Cleveland (disambiguation)を見るとイギリスのクリーブランドも大きな都市であることがわかります。--Tiyoringo 2007年11月17日 (土) 13:31 (UTC)
会話ページにお邪魔します。なぜTiyoringo氏はノート:クリーヴランド上で述べないのでしょうか?クリーブランド, クリーヴランドへリンクしている記事を合わせた数は、クリーブランド (オハイオ州)へのリンク数に匹敵しています。こんなところで事実誤認を述べられても迷惑です。--Clarin 2007年11月17日 (土) 14:23 (UTC)
Tiyoringoさんへ。門外漢ではあるのですが、ウィキペディアンの一人として、善意の参加者の意見が多数決で否定されるということを避けたいというのが一番の理由です。
また、今回の場合はイギリスのクリーブランドもそれなりの都市なのかもしれませんが、もっと圧倒的な知名度の差があればまた変わってくると思います。今回のような議論がいつどの記事で発生するかわからないことを考えると、どういう基準でどういう曖昧さ回避の方法を採るかについて話しておくことは無駄ではないと思います。--竹田 2007年11月17日 (土) 15:35 (UTC)
ご理解いただけたよう(?)で感謝します。ちょうどクリーブランドやクリーブランドの曖昧さ回避にあたる他言語記事のリンクを補填していましたが、クリーブランドは、英語圏に数多くあり、ヨーク︵York︶などと比べてもどちらが多いのだろうといったものでした。ポーツマスもかなりあると思いますがそれより多そうです。調べてみたところ、クリーブランドという名前の人が作った町といった記載がされているページがありましたが、それだけで多くの町ができるかなといった疑問を感じています。なおen:Cleveには二人の北欧系の人物記事を含む曖昧さ回避になっています。ところで門外漢といった言葉ですが仏教関連の言葉でありそうですが日本以外ではどういった呼び方がされているのか少し興味を持ちました。もしかすると現代では他力本願のようにもともとの意味とは異なった利用がされているものかもしれません。いつでも実行しているわけではありませんが、主執筆分野と見られる方の意見は尊重すべきではないかと思います。Yassie氏でいうとアメリカ、特にオハイオ州の事物を中心としたもの、Clarin氏ですとアジア関連でしょうか、竹田さんのことはこれまで接点がなかったので存じておりませんでしたが、アジアの言語学になるでしょうか。利用者ページを拝見すると他言語を理解することができるようにお見受けでき、今後のご活躍を楽しみにしたいと思います。なおいろいろな分野を編集しているのでわかりにくいと思いますが私のメインはスポーツ関連になります。--Tiyoringo 2007年11月18日 (日) 15:58 (UTC)
キルギス関連のカテゴリ改名について[編集]
はじめまして、こんにちは。Ariesmarineと申します。さて、標記の件についてですがWikipedia:改名提案で掲載された様子がなかったようですので私のほうで2007年12月6日分として告知を出しました。私からも意見を申し上げておりますが、幾分時間が経過しておりますのでもしお考えに変わりがありましたらノート:キルギスにてお願いします。--Ariesmarine 2007年12月6日 (木) 07:53 (UTC)
表記の書き換え[編集]
竹田さん、はじめまして、白駒と申します。善意でなさっていることとは存じますが、函数を関数に書き換える編集を複数なさっていますので、Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数を御案内します。私は差し戻しを致しませんが、過去に大きな論争になった件である、ということに御留意ください。--白駒 2009年7月27日 (月) 11:20 (UTC)
はじめまして、白駒さん。ご案内いただいた記事を拝見しました。以前、私もこの論争を見た覚えはあったのですが︵Wikipedia:井戸端/subj/﹁関数﹂か﹁函数﹂かだったと思います︶、かなり昔のことという印象があったので︵日付を見ると2年前ですね︶沈静化したものと思い込んでいました。そうではなかったんですね。私としては、他の記事と同じように﹁記事名にそろえる﹂︵記事名が﹁指示関数﹂であるのに、別記事でのリンクが﹁指示函数﹂であったため︶という目的で編集したのですが、方針があるのでしたらそれに従い、その範囲を超えないように気をつけます。ご指摘ありがとうございます。--竹田 2009年7月27日 (月) 12:21 (UTC)
私は竹田さんの行っている、漢字をわざわざ平仮名に開く編集に反対です。 竹田さんは﹁齎す﹂や﹁予め﹂といった表記を衒学的だとしていますが、 ﹁衒学的﹂とは﹁知識人ぶる態度﹂という意味であり、漢字を使っただけで衒学的とは言いません。 平仮名だらけで文を書いては読み難いし意味が伝わり難いから日本人は漢字を使うのです。 竹田さんの編集は日本語を徒に読み難くしWikipediaの質を落としてしまっています。 自らの編集を﹁ひまつぶしっぽい作業﹂とされていますが、それは余所でやって下さい。 最近の編集例で言うと、﹃太平洋戦争﹄という項目の ﹁地域であった事に因む﹂という文章を﹁地域であったことにちなむ﹂ と書き換えるだけの編集をされていますが、 誤りが正された訳でも内容が追加された訳でも無いこの編集には一体何の意味が有るのでしょうか? 果たして竹田さん以外にこの編集に価値が見出せる人がいるでしょうか? ﹁事に因む﹂という書き方は衒学的でもおかしな書き方でもありませんよ。 また﹃ゴリラ﹄の項目の過去の編集では﹁或る島の湖の中に在る島﹂を﹁ある島の湖の中にある島﹂ と書き換えていますが、わざわざ漢字で区別を付けておいた同音を 両方共平仮名で書いてしまったら読み難くなるだけです。 更に﹁冒険譚﹂を﹁冒険談﹂、﹁穴に棲む﹂を﹁穴に住む﹂と書き換えられていますが、 この書き換えは単なる漢字の書き換えに留まらず、元々の意味を損ねてしまっています。 ﹁冒険譚﹂は語り継がれる伝説の類、﹁冒険談﹂は仲間内で話す思い出話、 ﹁穴に棲む﹂はその環境に生息する、﹁穴に住む﹂は居座っている場所が単にそこである、 という意味であり、それぞれ書き換えの利く字ではありません。譬えて言うならこの書き換えは誤訳の様なものです。 ﹁世の中に膾炙した﹂も﹁世の中に広まった﹂と書き換えていますが、 ﹁世の中に膾炙した﹂は情報や風習等無形物が伝わる、 ﹁世の中に広まった﹂は無形物の他有形物も含めて様々な物が伝わる、 という意味です。この書き換えは上の二例と違い間違いではありませんが、 無形物に限定した言い回しを有形無形含めた範囲の広い言い回しに変えてしまうと、 意味が伝わりはしても本来の文の有していた情報がぼやけてしまいます。 語彙力の低い幼児や外国人の読む文章であれば竹田さんの書き換えの様な配慮が必要でしょうが、 一般の日本人向けの文章としてはこの様に語彙を下手に制限するとただ分かり難くなるだけです。 また竹田さんは同一項目の連続編集が目立ちます。 Wikipediaに利用者登録をしてから4年近くになる様ですから、 プレビュー機能の使い方と同一項目の連続編集をすべきでない事を 知識として知ってはいると思います。にも関わらず、竹田さんはつい最近も連続編集をしています。 何故竹田さんはプレビュー機能を使わないのですか? 2010年2月21日 (日) 23:48にReforma.imufomotさんがこの会話ページに書き込んだ プレビュー機能のお知らせを消してますが、どうしてプレビュー機能をそんなに嫌がるのですか?--釣本直紀 2010年3月6日 (土) 17:29 (UTC) 個人的な事情により、時間をかけた回答ができない状況にあります。しばらくの間ご容赦ください。--竹田 2010年3月7日 (日) 14:28 (UTC) 失礼しました。2点についてご回答します。 (一)--漢字を開くだけの編集を止めて下さい ●まず、表記ガイドをご覧ください。 (一)﹁地域であった事に因む﹂の中で、﹁事→こと﹂は﹁形式名詞で本来の意味がほとんど失われているもの ﹂に該当します。﹁重要な事 → 重要なこと﹂として例示されています。 (二)﹁或る島の湖の中に在る島﹂の中で、﹁或る→ある﹂は﹁連体詞﹂に該当します。﹁或る → ある﹂として例示されています。 (三)﹁ちなむ﹂については、常用漢字外の音訓という理由でかな書きにしています。Wikipedia では常用漢字外の音訓を使うことは禁止されていませんが、﹁常用漢字表以外の音訓については、積極的に読み仮名を付けます﹂とあります。﹁〜に因︵ちな︶む﹂と書くことも可能ですが、そうしなかった理由は﹁ちなむ﹂という表記のほうが一般的だからです。簡易的には、インターネットで"にちなむ"と"に因む"︵引用符付き︶で検索していただければ、﹁にちなむ﹂のほうが倍以上多く使われていることが確認できるかと思います。また、一般の百科事典をご覧いただけば、百科事典では﹁ちなむ﹂表記が使われていることも確認できると思います。 (四)﹁中に在る﹂の﹁在る→ある﹂に関しては、﹁ある﹂のほうが一般的だからです。これも、簡易的にはネット検索で︵Google で、﹁中にある﹂342,000,000件 : ﹁中に在る﹂1,920,000件︶、また一般の百科事典でも確認できるかと思います。 (五)読みやすさについてですが、一般的に好まれ、多く使われている表現が読みにくいということはないでしょう。よく目にするものであれば認識する際に違和感がなく、また逆に、読みにくいものであれば自然と違う表記が使われるでしょう︵私は常用漢字原理主義というわけではなく、自然に世の中で使われている常用漢字外の漢字・音訓については問題ないと思っています︶。 (六)﹁冒険譚﹂→﹁冒険談﹂についてですが、﹁譚﹂が﹁語り継がれる伝説﹂で、﹁談﹂が﹁仲間内で話す思い出話﹂であるということに関するソースをいただければと思います。︵これに関しては、﹁冒険物語﹂等にしてもよいとは思っています︶ (七)﹁棲む﹂という表記は一般的に百科事典では使われません︵反証があるなら提示をお願いします︶。主体が人であれば﹁住む﹂と表記すればよく、動物であれば﹁生息する﹂とすればよいからです。﹁ゴリラ﹂の項目では、由来より擬人化されていると考え﹁住む﹂としています。また、﹁住む﹂という単語が﹁居座っている場所が単にそこである﹂という意味であるという解釈はかなり独自なものであると思います︵少なくとも私は、私が住んでいる場所について、﹁居座っている場所が単にここである﹂とは思いません︶。 (八)﹁世の中に膾炙した→世の中に広まった﹂は、﹁世の中に膾炙した﹂という表現がそもそもおかしいからです。大辞泉にもありますが、﹁膾炙﹂は﹁人口に膾炙する﹂という表現で使われるものです。また、この表現は一般的に﹁話﹂が﹁広まっている状態﹂を示すものです。特定の〇〇語訳が﹁人口に膾炙する﹂というのはおかしな話です。この場合、ギリシャ語訳が世の中に広まり、その結果として物語が人口に膾炙するようになった、とするべきところですが、煩雑・冗長になるので﹁ギリシャ語訳で世の中に広まった﹂としています。 (九)﹁語彙力の低い幼児や外国人の読む文章であれば竹田さんの書き換えの様な配慮が必要でしょうが、一般の日本人向けの文章としてはこの様に語彙を下手に制限するとただ分かり難くなるだけです。﹂とのことですが、一般の百科事典は私は一般の日本人向けのものであると考えているのですが、そうではないというご意見でしょうか。 (二)--プレビュー機能を使って下さい プレビュー機能を使うかどうかより、同一項目の連続編集が問題となる点でしょうから、そちらについてお答えします。 ●結果的に連続編集になってしまったのは、﹁節単位編集﹂が低負荷であるという誤解に基づくものでした。今後は複数節にまたがる編集はページ単位編集を行うようにします。 Wikipedia:井戸端/subj/節単位編集の多用の議論で、今のインターフェイスではそのような誤解をしがちであることをご了解いただければと思います。しかし、誤解であった以上は今後は節単位編集を控えるようにします。 それでは、失礼します。--竹田 2010年3月14日 (日) 10:28 (UTC)
お返事ありがとうございます。また長くなってしまいましたが返信です。
返信の要点は二点です。漢字を開く"だけ"の編集は知識を集めて辞典を作り上げるWikipediaの方針からずれています。プレビュー機能についての要求は納得して頂けた様で幸いです。
●1~3 私は竹田さんの編集が表記ガイドに沿っているか一般的表現かを問題視している訳ではなく、その編集内容が﹃漢字を開いているだけ﹄である事を問題視しているのです。﹁地域であった事に因む﹂という文章を﹁地域であったことにちなむ﹂と書き換えた編集の場合、その他に何か記述を追加するなり誤りを削除するなりの有意義な編集が有れば私は文句は言いません。ただ﹃漢字を開いているだけ﹄の編集は理解できませんと言っているのです。
●Wikipediaでは表記ガイドに沿った漢字の使い方が推奨されていますが、これに沿っていない文章がWikipediaの記事として不適格であり、是正されるべきであるという訳ではありません。そもそもWikipediaは皆の知識を共有して辞典を作る事を目的とした場所であり、表記ガイドはその目的達成を補助する為の単なる目安の一つです。仮に表記ガイドから大きくずれた編集であったとしても、その編集内容が辞典として的確であればその編集は十分有意義なのです。
●編集履歴を確認する限り、竹田さんは﹃知識を共有して辞典を作る事﹄ではなく﹃表記ガイドに従う事﹄を目的としてWikipediaに参加してしまっています。これは本末転倒でWikipediaへの貢献にはなっていません。はっきり言って無駄な編集になってしまっていますので止めて下さい。
●4~5 一般的かという視点は当然必要ですが、それでもやはり単に﹁ある﹂と書くより﹁或﹂﹁有﹂﹁在﹂とそれぞれ書き分けた方が読み易さは上がる筈です。
●6 大辞泉には以下の様に説明されています。
たん︻×譚︼物語を語る。また、物語。﹁譚詩/奇譚﹂
だん︻談︼あることについて話をすること。また、その話。﹁関係者の―によると﹂﹁成功―﹂
>これに関しては、﹁冒険物語﹂等にしてもよいとは思っています
﹁冒険譚﹂という何でもない日本語をそこまでこだわって書き換える必要は無いでしょう。
●7 >﹁棲む﹂という表記は一般的に百科事典では使われません その様におっしゃられる根拠は何なのでしょうか。 >また、﹁住む﹂という単語が﹁居座っている場所が単にそこである﹂という意味であるという解釈はかなり独自なものであると思います ﹁棲む﹂と﹁住む﹂の比較説明としては特別独自なものではないと思います。例えば﹁深海に棲む魚﹂と﹁沈没船に住む魚﹂の言葉の使い分けを説明しようとする場合は、恐らく私の様な説明が普通かと思います。 >﹁ゴリラ﹂の項目では、由来より擬人化されていると考え﹁住む﹂としています ﹁この生物は穴に棲む﹂という説明の場合、単なる居場所ではなく生息環境を指しているのですから、やはり居場所を意味する﹁住む﹂と書いてはおかしいですよ。
●8 話が〇〇語訳で人口に膾炙した、という書き方がどうおかしいのかは分かりませんが、膾炙するという言葉は人口に、と繋げて書いた方がどうも良いらしいので、この場合は確かに竹田さんの編集の通り﹁世の中に広まった﹂とすべきかも知れません。
●9 私は一般の百科事典は一般の日本人を対象としていると考えていますが、竹田さんの編集はそれより平易な表現を求める日本語利用者向けの編集の様であると感じています。例えば竹田さんは﹃夫婦別姓﹄の記事にて﹁髣髴﹂を﹁想起﹂に、﹁勧奨﹂を﹁奨める﹂に書き換えていますが、一般の日本人なら﹁髣髴﹂も﹁勧奨﹂も恐らく理解できるでしょう。漢字を平仮名に開く編集もそうですが、こういった書き換えが一般の日本人に対し必要であるとは思えません。
●プレビュー機能 >﹁節単位編集﹂が低負荷であるという誤解に基づくものでした 確かに竹田さんは同じ記事の節単位編集を連続されてもいますけど、同じ記事の同じ節を連続編集してもいますよね。例えば﹃GTEC﹄の特徴の節を2010年1月22日 (金) 16:33と2010年1月22日 (金) 16:34に編集されています。他にも記事単位編集をした後、その記事の節単位編集をされている例も見られます。﹃低負荷であるという誤解﹄以外にも何か連続投稿されてしまっている理由が有る様に見えるのですが、何にせよ今後投稿の仕方を変えるというお返事は私の希望通りです。ありがとうございます。 すっかり長くなりましたが、以上で失礼します。--釣本直紀 2010年3月20日 (土) 17:14 (UTC) 竹田です。 主な2点についてお答えします。 ●--漢字を開く"だけ"の編集は知識を集めて辞典を作り上げるWikipediaの方針からずれています。 Wikipedia:表記ガイドにはこのような記述があります。 --このガイドラインに従おうとすることが、あなたの記事執筆の妨げになる時には、無理に従う必要はありません︵そのうちに表記法に詳しい利用者が体裁を整えてくれるでしょう︶ これは、書き手が記事を執筆する時は体裁にこだわりすぎる必要がないことを示すと同時に、そのようにして書かれた記事に対して、﹁表記法に詳しい利用者が体裁を整え﹂ることが期待されています。 具体的な事例についてですが、表記ガイドにある1〜5については、前文にある通り﹁ウィキペディア全体の表記の一貫性﹂と﹁印刷物の慣行に近づける﹂という意図に基づくものです。例えば、既存の百科事典を電子化したものとして、Yahoo!百科事典︵小学館‥日本大百科全書︶がありますが、ご覧になっていただければこれらの慣行に従っていることをご確認いただけると思います。 6, 7, 9 については、私は﹁一般的に読みやすいように﹂と思って書き換えたのですが、これは突き詰めると主観の問題になってしまいます。それほど強く主張するものではありません。 ●--同じ記事の同じ節を連続編集 それは単純なミスです。プレビューを使っていないわけではありません。しかし、そのようなことがないように、今後はより注意深く編集を行おうと思います。 それでは、失礼します。--竹田 2010年3月28日 (日) 12:40 (UTC)
書換へ[編集]
現代仮名遣いでの表記の書換への件であります。 平易な表記とは何でありませう。譬へば﹁曖昧﹂を﹁あいまい﹂と假名にすることが、果たして平易なのでせうか。﹁擡頭﹂をば﹁台頭﹂と置換へることは、﹁頭を擡げる﹂の﹁擡げる﹂をば﹁台げる﹂と書かず﹁もたげる﹂と假名で書くやうに、その平易の姿勢には渾沌たる物があると思はれます。 凡そ其の基準は常用漢字か否か、若しくは主觀による所などかと思はれますが、常用漢字︵その音訓︶に含まれてゐないからといつて全て假名書︵置換へ︶を徹底せよと謂ふのは酷であります。これは、常用漢字で字體が變更された﹁假﹂を含む﹁假名﹂をば﹁仮名﹂と書かぬを責める事とは全く異なる物であります。日常的に見かけるであらう﹁癌﹂が常用漢字か、それなりに頻度が高い﹁曖昧﹂が常用漢字か、﹁擡頭﹂が常用漢字か、Wikipedia の一般編輯者は玄人の校正屋ではないのです。﹁殆ど﹂は手を付けられぬと謂ふ如きは、まさしく誰もが校正の素人であるからであります。と同時に、Input Method で自然候補に擧がる漢字をば違和感なく讀みこなせてゐる證據であるとも思ふのであります。まさか讀めもせぬ漢字を選ぶことなどありますまい。 英語の場合や支那の北京語の場合は簡單に、綴りの間違ひや簡体・繁體の遣ひわけができてゐなければそれを指摘して修正すれば濟むのであります。ところが日本の場合は﹁假名﹂﹁漢字﹂と二つあつて、選擇肢の幅が寛く、それゆゑに常用漢字云々となると更に表記は混亂するのであります。﹁旱魃/干魃/干ばつ﹂と何通りもあるのがその好例であります。 特に酷い物はすぐに疑問が提示され問題となりますが、さうではない個人差程度では餘りに厖大に過ぎる爲に編輯者の主觀によることになります。私は﹁衒學、ひけらかし﹂と仰る貴方の姿勢が、﹁學識が無いのだから﹂と見下してゐるやうに思へてなりません。勿論同一記事による表記搖れは是正の餘地がありますが。 それから先述の﹁擡頭﹂には﹁抬頭﹂なる表記もあります。私は常用漢字に異字體の無い︵則ち一對一の對應ができない︶漢字の置換へや假名書は一切行ふべきではないと思ふのであります。訓讀の場合は元來が﹁宛て字﹂なので難解な物もありませうし時と場合によりますが、音讀の場合は漢語であります。支那の音韻であり、假名で書くには違和感が強過ぎると思ふのであります。置換へは表意の一貫性と謂ふ觀點から全く贊成できないのであります。 ﹁歴史的假名遣﹂の漢字表記については、﹁歷史的假名遣﹂とするわけにはいかないだらうから﹁歴史的假名遣﹂が良いだらうけれども、﹁歴史的假名遣﹂の記事の移動は面倒なので放置してゐるのが現狀で、﹁歴史的仮名遣﹂と謂ふ記事名は﹁歴史的假名遣﹂が良いのではないかと考へてをりますので、合意が採れればそのやうに實行したいと考へてをります。﹁記事名への統一﹂は暫く樣子をみてからにして戴きたい。 Wikipedia:記事名の付け方には次の基準があります。 ●複数の字体がある漢字については、常用漢字表にある字体を使うことが原則です ●特に音読みの部分はできるだけ漢字を用いて表現しましょう。 ﹁擡﹂も﹁萃﹂も﹁複数の字体﹂はなく、﹁複数の字体﹂と謂ふ意味における常用漢字﹁台﹂も﹁粋﹂も﹁臺︵台は本來臺と別字︶﹂や﹁粹﹂と別字であります。從つて原則はなく、﹁擡頭﹂﹁抜萃﹂でよいと理解します。﹁拔萃﹂ではない理由は﹁拔﹂が﹁抜︵常用漢字︶﹂と﹁複数の字体﹂をもつと看做せるからです。﹁曖昧﹂の場合は﹁音読みの部分﹂であり、漢字による表記が望ましいと思はれます。﹁歴史的仮名遣﹂をば﹁歴史的假名遣﹂とする場合は﹁原則﹂に補足されてゐる﹁固有名詞﹂の場合と看做してゐます。同樣の趣旨であるWikipedia:表記ガイド、その交ぜ書きの項には問題が有るなら振假名︵讀假名︶にせよと書かれてをり、交ぜ書きではありませんが﹁曖昧﹂の場合は﹁曖昧︵あいまい︶﹂とせよの意であると思はれます。 衒學な表記と謂ふのは、明らかな文語文であるとか、美辭の多からう文であつて、一般に説明をつくさんとする文に於てこれを衒學と斷ずる由は、明らかに理解を損ね兼ねるのであります。日本語が或る程度話せると云ふ外國人に、わざわざ片言の英語で話しかけるやうな滑稽さを感じるのです。--Qoo 2009年8月29日 (土) 15:53 (UTC) お返事いたします。時間の関係上、多少簡潔になるかもしれませんがご了承ください。 ●﹁曖昧﹂について 私も徹底した常用漢字原理主義者というわけではなく、常用漢字から外れるものについては個別に判断しています。例えば、﹁躊躇﹂を﹁ちゅうちょ﹂と書き換えるというのはナンセンスに思えますので、そのままにするか、︵暇なら︶ガイドラインに従って﹁躊躇︵ちゅうちょ︶﹂とします。一方、仮名表記が自然だと思えるものについては仮名にします。﹁曖昧﹂の場合はボーダーライン上にあり、﹁あいまい﹂表記が同程度に一般的と判断したため平仮名に直しましたが、特にそうすべきであると強く思っているわけではありません。ところで、 ﹁曖昧﹂の場合は﹁曖昧︵あいまい︶﹂とせよの意であると思はれます。 と認めておられるようですが、﹁曖昧﹂︵カッコなし︶に戻されたのはなぜでしょうか。 ●﹁歴史的假名遣﹂の漢字表記︵記事中での︶ とりあえず、現状の記事名として﹁歴史的仮名遣﹂であるという事実があります。私が編集をした時点で﹁歴史的仮名遣﹂が記事名であった以上、その記事名に統一したことに間違いはないと思います。翻って Qoo 様の編集ですが、﹁歴史的假名遣﹂はまだ提案に過ぎません。それに統一するというのは乱暴ではないでしょうか。 ●﹁歴史的假名遣﹂への改名について これについては当該ページのノートが議論場所ですので、おいおいそちらに書きます。 ●﹁擡頭﹂﹁抜萃﹂について ﹁擡﹂も﹁萃﹂も﹁複数の字体﹂はなく、﹁複数の字体﹂と謂ふ意味における常用漢字﹁台﹂も﹁粋﹂も﹁臺︵台は本來臺と別字︶﹂や﹁粹﹂と別字であります。從つて原則はなく、﹁擡頭﹂﹁抜萃﹂でよいと理解します。 確かに、漢字単体で見ると﹁擡﹂と﹁台﹂、﹁萃﹂と﹁粋﹂は別字体という関係にはないため、﹁原則はない﹂という解釈も可能です。しかし、﹁擡頭﹂﹁台頭﹂、﹁抜萃﹂﹁抜粋﹂等に関しては、書き換えが行われた当初は後者はなじみがなく正統性もないものだったかもしれませんが、現時点では両方ともどの辞書にも掲載されており、日本語としての認定を受けているとみなすことができるでしょう。さて、両者ともに正統性があるとすれば、どちらを採用すべきか。私としては、仮にガイドラインに明記されていなくても、より一般的に使われているものを優先的に使用することが望ましいのではないかという意見です。百科事典のひとつとして、重要なのは一にも二にも内容であり、文面はあくまでそれを伝えるための媒体にすぎません。内容ではなく、文面に目が向くような文章では、百科事典の記述として失格ではないでしょうか。﹁抜萃﹂と書かれているのと、﹁抜粋﹂と書かれているのでは、どちらを使うのが読者が表記に意識を向けず、内容に意識を集中できるか。このような観点から、私はより一般的な表記にするようにしています。 ●﹁衒学的﹂について まあこれも程度問題で、﹁齎す﹂を使う人が衒学的でないということはあまりないでしょうが、﹁殆ど﹂を使う人は﹁すでに見慣れているから﹂という場合が多いでしょうね。確かに、何が常用漢字で何が常用漢字でないかというのは相当マニアックな知識ですし、それを持っていないという理由で誰かを見下すというようなことはしたくないと思っていますし、していないつもりです。﹁衒学的﹂というのは、主観的にそう見えるものを個人的にそう形容しているだけで、実際に編集を加える際にはスタイルガイド等を根拠にしています。個人攻撃の意図はありませんので、あまり気にしないでいただければと思います。--竹田 2009年8月29日 (土) 19:24 (UTC)無意味な書き換えを止めて下さい[編集]
長くなりましたが要求は二つです。漢字を開くだけの編集を止めて下さい。プレビュー機能を使って下さい。私は竹田さんの行っている、漢字をわざわざ平仮名に開く編集に反対です。 竹田さんは﹁齎す﹂や﹁予め﹂といった表記を衒学的だとしていますが、 ﹁衒学的﹂とは﹁知識人ぶる態度﹂という意味であり、漢字を使っただけで衒学的とは言いません。 平仮名だらけで文を書いては読み難いし意味が伝わり難いから日本人は漢字を使うのです。 竹田さんの編集は日本語を徒に読み難くしWikipediaの質を落としてしまっています。 自らの編集を﹁ひまつぶしっぽい作業﹂とされていますが、それは余所でやって下さい。 最近の編集例で言うと、﹃太平洋戦争﹄という項目の ﹁地域であった事に因む﹂という文章を﹁地域であったことにちなむ﹂ と書き換えるだけの編集をされていますが、 誤りが正された訳でも内容が追加された訳でも無いこの編集には一体何の意味が有るのでしょうか? 果たして竹田さん以外にこの編集に価値が見出せる人がいるでしょうか? ﹁事に因む﹂という書き方は衒学的でもおかしな書き方でもありませんよ。 また﹃ゴリラ﹄の項目の過去の編集では﹁或る島の湖の中に在る島﹂を﹁ある島の湖の中にある島﹂ と書き換えていますが、わざわざ漢字で区別を付けておいた同音を 両方共平仮名で書いてしまったら読み難くなるだけです。 更に﹁冒険譚﹂を﹁冒険談﹂、﹁穴に棲む﹂を﹁穴に住む﹂と書き換えられていますが、 この書き換えは単なる漢字の書き換えに留まらず、元々の意味を損ねてしまっています。 ﹁冒険譚﹂は語り継がれる伝説の類、﹁冒険談﹂は仲間内で話す思い出話、 ﹁穴に棲む﹂はその環境に生息する、﹁穴に住む﹂は居座っている場所が単にそこである、 という意味であり、それぞれ書き換えの利く字ではありません。譬えて言うならこの書き換えは誤訳の様なものです。 ﹁世の中に膾炙した﹂も﹁世の中に広まった﹂と書き換えていますが、 ﹁世の中に膾炙した﹂は情報や風習等無形物が伝わる、 ﹁世の中に広まった﹂は無形物の他有形物も含めて様々な物が伝わる、 という意味です。この書き換えは上の二例と違い間違いではありませんが、 無形物に限定した言い回しを有形無形含めた範囲の広い言い回しに変えてしまうと、 意味が伝わりはしても本来の文の有していた情報がぼやけてしまいます。 語彙力の低い幼児や外国人の読む文章であれば竹田さんの書き換えの様な配慮が必要でしょうが、 一般の日本人向けの文章としてはこの様に語彙を下手に制限するとただ分かり難くなるだけです。 また竹田さんは同一項目の連続編集が目立ちます。 Wikipediaに利用者登録をしてから4年近くになる様ですから、 プレビュー機能の使い方と同一項目の連続編集をすべきでない事を 知識として知ってはいると思います。にも関わらず、竹田さんはつい最近も連続編集をしています。 何故竹田さんはプレビュー機能を使わないのですか? 2010年2月21日 (日) 23:48にReforma.imufomotさんがこの会話ページに書き込んだ プレビュー機能のお知らせを消してますが、どうしてプレビュー機能をそんなに嫌がるのですか?--釣本直紀 2010年3月6日 (土) 17:29 (UTC) 個人的な事情により、時間をかけた回答ができない状況にあります。しばらくの間ご容赦ください。--竹田 2010年3月7日 (日) 14:28 (UTC) 失礼しました。2点についてご回答します。 (一)--漢字を開くだけの編集を止めて下さい ●まず、表記ガイドをご覧ください。 (一)﹁地域であった事に因む﹂の中で、﹁事→こと﹂は﹁形式名詞で本来の意味がほとんど失われているもの ﹂に該当します。﹁重要な事 → 重要なこと﹂として例示されています。 (二)﹁或る島の湖の中に在る島﹂の中で、﹁或る→ある﹂は﹁連体詞﹂に該当します。﹁或る → ある﹂として例示されています。 (三)﹁ちなむ﹂については、常用漢字外の音訓という理由でかな書きにしています。Wikipedia では常用漢字外の音訓を使うことは禁止されていませんが、﹁常用漢字表以外の音訓については、積極的に読み仮名を付けます﹂とあります。﹁〜に因︵ちな︶む﹂と書くことも可能ですが、そうしなかった理由は﹁ちなむ﹂という表記のほうが一般的だからです。簡易的には、インターネットで"にちなむ"と"に因む"︵引用符付き︶で検索していただければ、﹁にちなむ﹂のほうが倍以上多く使われていることが確認できるかと思います。また、一般の百科事典をご覧いただけば、百科事典では﹁ちなむ﹂表記が使われていることも確認できると思います。 (四)﹁中に在る﹂の﹁在る→ある﹂に関しては、﹁ある﹂のほうが一般的だからです。これも、簡易的にはネット検索で︵Google で、﹁中にある﹂342,000,000件 : ﹁中に在る﹂1,920,000件︶、また一般の百科事典でも確認できるかと思います。 (五)読みやすさについてですが、一般的に好まれ、多く使われている表現が読みにくいということはないでしょう。よく目にするものであれば認識する際に違和感がなく、また逆に、読みにくいものであれば自然と違う表記が使われるでしょう︵私は常用漢字原理主義というわけではなく、自然に世の中で使われている常用漢字外の漢字・音訓については問題ないと思っています︶。 (六)﹁冒険譚﹂→﹁冒険談﹂についてですが、﹁譚﹂が﹁語り継がれる伝説﹂で、﹁談﹂が﹁仲間内で話す思い出話﹂であるということに関するソースをいただければと思います。︵これに関しては、﹁冒険物語﹂等にしてもよいとは思っています︶ (七)﹁棲む﹂という表記は一般的に百科事典では使われません︵反証があるなら提示をお願いします︶。主体が人であれば﹁住む﹂と表記すればよく、動物であれば﹁生息する﹂とすればよいからです。﹁ゴリラ﹂の項目では、由来より擬人化されていると考え﹁住む﹂としています。また、﹁住む﹂という単語が﹁居座っている場所が単にそこである﹂という意味であるという解釈はかなり独自なものであると思います︵少なくとも私は、私が住んでいる場所について、﹁居座っている場所が単にここである﹂とは思いません︶。 (八)﹁世の中に膾炙した→世の中に広まった﹂は、﹁世の中に膾炙した﹂という表現がそもそもおかしいからです。大辞泉にもありますが、﹁膾炙﹂は﹁人口に膾炙する﹂という表現で使われるものです。また、この表現は一般的に﹁話﹂が﹁広まっている状態﹂を示すものです。特定の〇〇語訳が﹁人口に膾炙する﹂というのはおかしな話です。この場合、ギリシャ語訳が世の中に広まり、その結果として物語が人口に膾炙するようになった、とするべきところですが、煩雑・冗長になるので﹁ギリシャ語訳で世の中に広まった﹂としています。 (九)﹁語彙力の低い幼児や外国人の読む文章であれば竹田さんの書き換えの様な配慮が必要でしょうが、一般の日本人向けの文章としてはこの様に語彙を下手に制限するとただ分かり難くなるだけです。﹂とのことですが、一般の百科事典は私は一般の日本人向けのものであると考えているのですが、そうではないというご意見でしょうか。 (二)--プレビュー機能を使って下さい プレビュー機能を使うかどうかより、同一項目の連続編集が問題となる点でしょうから、そちらについてお答えします。 ●結果的に連続編集になってしまったのは、﹁節単位編集﹂が低負荷であるという誤解に基づくものでした。今後は複数節にまたがる編集はページ単位編集を行うようにします。 Wikipedia:井戸端/subj/節単位編集の多用の議論で、今のインターフェイスではそのような誤解をしがちであることをご了解いただければと思います。しかし、誤解であった以上は今後は節単位編集を控えるようにします。 それでは、失礼します。--竹田 2010年3月14日 (日) 10:28 (UTC)
●7 >﹁棲む﹂という表記は一般的に百科事典では使われません その様におっしゃられる根拠は何なのでしょうか。 >また、﹁住む﹂という単語が﹁居座っている場所が単にそこである﹂という意味であるという解釈はかなり独自なものであると思います ﹁棲む﹂と﹁住む﹂の比較説明としては特別独自なものではないと思います。例えば﹁深海に棲む魚﹂と﹁沈没船に住む魚﹂の言葉の使い分けを説明しようとする場合は、恐らく私の様な説明が普通かと思います。 >﹁ゴリラ﹂の項目では、由来より擬人化されていると考え﹁住む﹂としています ﹁この生物は穴に棲む﹂という説明の場合、単なる居場所ではなく生息環境を指しているのですから、やはり居場所を意味する﹁住む﹂と書いてはおかしいですよ。
●8 話が〇〇語訳で人口に膾炙した、という書き方がどうおかしいのかは分かりませんが、膾炙するという言葉は人口に、と繋げて書いた方がどうも良いらしいので、この場合は確かに竹田さんの編集の通り﹁世の中に広まった﹂とすべきかも知れません。
●9 私は一般の百科事典は一般の日本人を対象としていると考えていますが、竹田さんの編集はそれより平易な表現を求める日本語利用者向けの編集の様であると感じています。例えば竹田さんは﹃夫婦別姓﹄の記事にて﹁髣髴﹂を﹁想起﹂に、﹁勧奨﹂を﹁奨める﹂に書き換えていますが、一般の日本人なら﹁髣髴﹂も﹁勧奨﹂も恐らく理解できるでしょう。漢字を平仮名に開く編集もそうですが、こういった書き換えが一般の日本人に対し必要であるとは思えません。
●プレビュー機能 >﹁節単位編集﹂が低負荷であるという誤解に基づくものでした 確かに竹田さんは同じ記事の節単位編集を連続されてもいますけど、同じ記事の同じ節を連続編集してもいますよね。例えば﹃GTEC﹄の特徴の節を2010年1月22日 (金) 16:33と2010年1月22日 (金) 16:34に編集されています。他にも記事単位編集をした後、その記事の節単位編集をされている例も見られます。﹃低負荷であるという誤解﹄以外にも何か連続投稿されてしまっている理由が有る様に見えるのですが、何にせよ今後投稿の仕方を変えるというお返事は私の希望通りです。ありがとうございます。 すっかり長くなりましたが、以上で失礼します。--釣本直紀 2010年3月20日 (土) 17:14 (UTC) 竹田です。 主な2点についてお答えします。 ●--漢字を開く"だけ"の編集は知識を集めて辞典を作り上げるWikipediaの方針からずれています。 Wikipedia:表記ガイドにはこのような記述があります。 --このガイドラインに従おうとすることが、あなたの記事執筆の妨げになる時には、無理に従う必要はありません︵そのうちに表記法に詳しい利用者が体裁を整えてくれるでしょう︶ これは、書き手が記事を執筆する時は体裁にこだわりすぎる必要がないことを示すと同時に、そのようにして書かれた記事に対して、﹁表記法に詳しい利用者が体裁を整え﹂ることが期待されています。 具体的な事例についてですが、表記ガイドにある1〜5については、前文にある通り﹁ウィキペディア全体の表記の一貫性﹂と﹁印刷物の慣行に近づける﹂という意図に基づくものです。例えば、既存の百科事典を電子化したものとして、Yahoo!百科事典︵小学館‥日本大百科全書︶がありますが、ご覧になっていただければこれらの慣行に従っていることをご確認いただけると思います。 6, 7, 9 については、私は﹁一般的に読みやすいように﹂と思って書き換えたのですが、これは突き詰めると主観の問題になってしまいます。それほど強く主張するものではありません。 ●--同じ記事の同じ節を連続編集 それは単純なミスです。プレビューを使っていないわけではありません。しかし、そのようなことがないように、今後はより注意深く編集を行おうと思います。 それでは、失礼します。--竹田 2010年3月28日 (日) 12:40 (UTC)
「独楽」の改名提案の記事の位置について[編集]
ShikiHでございます。ノート﹁独楽﹂で改名提案の議論中ですが、この前書いた人が今回は書いていらっしゃいません。記事の位置が悪いんじゃないでしょうか。普通、新しい記事は下に書き足してゆくので、他の方々は新しい提案があることに気づいてないのかもしれません。下部に移動することをお勧めします。--ShikiH 2009年12月3日 (木) 13:53 (UTC)
竹田です。私としては、初めて見る人がすぐにわかるようにと思ってわざわざ上に移動したのですが、そういう可能性もあるのでしたら下に戻します。ご意見ありがとうございます。--竹田 2009年12月3日 (木) 16:05 (UTC)
双竜自動車の改名について[編集]
ノート:双竜自動車に異議を書きましたので、読んでいただけるとありがたいです。--Loadbeta(会話) 2012年9月12日 (水) 23:27 (UTC)
コメント依頼:ノート:韓国系アメリカ人#「韓国・朝鮮系アメリカ人」へ改名提案[編集]
突然失礼します。以前、こちらのノートでご議論なさっていたのを拝見いたしました。提案後、まだどなたからもご意見が有りませんので、よろしければお知恵を拝借できればと存じます。--Muzmuz(会話) 2012年10月12日 (金) 10:35 (UTC)
氷柱の改名について[編集]
はじめまして。氷柱をつららに改名されたようですが、ノートにもWikipedia:改名提案にも改名について提案された形跡がありません。Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことで直ちに改名してもよいとされる﹁明らかに、ページ名に誤字・脱字があるとき﹂﹁明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき﹂にも該当しません。いったん元の氷柱に戻したうえで、必要な手続きをお取りください。--Claw of Slime︵会話︶ 2013年12月26日 (木) 16:40 (UTC)
とりあえず戻しました。--竹田︵会話︶ 2013年12月26日 (木) 16:43 (UTC)
ありがとうございます。本文およびTemplate:雪氷学の編集も差し戻させていただきました。--Claw of Slime︵会話︶ 2013年12月26日 (木) 16:53 (UTC)
忘れていました。ありがとうございます。--竹田︵会話︶ 2013年12月26日 (木) 16:57 (UTC)
母音調和:ノートのe→aについて、教えて頂けないでしょうか。[編集]
母音調和:ノートに、お名前があったので、教えて頂けないでしょうか。 素人が、すみません。 「e→aの例」で、 胸(むね)→胸元(むなもと)とありますが、 広辞苑に、むな【胸】「むね(胸)」の古形とあります。 「むね」が「むな」になったのでは無く 「むな」が「むね」になったのではないでしょうか。 他のも、同様と思われますが、 相反する、学説が、存在するのでしょうか。 素人が書いてあること意味を取り違えているのでしょうか。 すみませんが、宜しくお願いいたします。--はなうめ(会話) 2017年1月28日 (土) 10:25 (UTC)