コンテンツにスキップ

勧学院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勧学院(かんがくいん)(旧字=勸學院)は平安時代の藤原氏大学別曹である。大学寮の南側(左京3条1坊5町 / 現在の京都市中京区西ノ京勧学院町[1])の地にあったため、大学南曹(だいがくなんそう)とも呼ばれていた。

概要

[編集]
勧学院阯碑(京都市中京区西ノ京職司町)

1282114872宿

宿宿



宿


職員

[編集]
  • 氏長者
    • 公卿別当
    • 弁別当(南曹弁[2]
    • 六位別当
      • 有官別当
      • 無官別当
    • 知院事
    • 案主
    • 雑色
    • 仕丁
    • 学頭(寄宿生の代表者)

延命院

[編集]

延命院は貞観元年(859年)藤原良相(よしみ)によって創建された一族の病人を収容する施設である。これによって冷遇されていた一族から支持を取り付け一族の団結に役立ったようだ。

外部リンク

[編集]

脚注

[編集]


(一)^ [1]

(二)^ 

関連項目

[編集]