南クリル管区
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南クリル管区 Южно-Курильский городской округ | |||
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国 |
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州 |
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成立 | 1946年6月5日 | ||
区庁所在地 | ユジノ・クリリスク | ||
政府 | |||
• 種別 | 都市管区 | ||
面積 | |||
• 合計 | 1,856.1 km2 | ||
人口 (2021年) | |||
• 合計 | 11,483人 | ||
• 密度 | 6.19人/km2 | ||
等時帯 | UTC+11 | ||
ウェブサイト | www.yuzhno-kurilsk.ru/ |
南クリル管区︵みなみクリルかんく、Южно-Курильский городской округ︶、はロシア連邦サハリン州の管区。
千島列島の最南部、国後島、色丹島、歯舞群島を管轄する。時間は日本標準時から2時間進んでいる。
●Отрада(オトラダ)‥日本名は近布内。国後島最北の集落。人口は142人。77%がロシア人。 ●Дубовое‥泊村大字泊村に所在。人口は565人で、74%がロシア人である。 ●Менделеево(メンデレーエフ)‥人口は40人。55%がロシア人。メンデレーエフ空港の開港のために泊村東沸付近に建設された。 ●Южно-Курильск(ユジノクリリスク)‥日本名は古釜布。南クリルの中心地で最大の都市。人口は7048人。 ●Головнино(ゴロヴニノ)‥日本名は植内。かつての泊村の中心地。人口は102人で91%がロシア人である。ロシア名はゴローニンの街の意味。
地理[編集]
ソ連及びロシアにとって主要都市から遠く離れた僻地であるため、手付かずの自然がそのまま残されており、多様な生態系に富むが、発展が遅れていた。近年では、国後島において開発が進められ、観光客を招致する計画もある。歴史[編集]
1945年8月9日、ソビエト連邦は日ソ中立条約を破って日本への侵攻を開始し、千島列島全域を占領した。1946年6月5日、ハバロフスク地方南サハリン州の一部として、南クリル管区の設置を一方的に宣言した。1947年1月2日に、南サハリン州を廃止して、ハバロフスク地方から分離したサハリン州に編入した。 2006年6月、南クリル管区を南クリル都市管区に転換した。人口[編集]
人口は横這い傾向にあり、2016年時点で、10,734人である。都市部への人口の集中が顕著であり、南部にある国後島の中心地ユジノクリリスクには人口の64.83%が集中する。行政区分[編集]
10の集落からなる。国後島[編集]
●Буровая Рудный‥日本名は蘂取。現在は定住者はいない。 ●Застава Докучаева‥日本名はルルイ。現在は定住者はいない。 ●Маяк Ловцова(セルゲエフカ)‥日本名は安渡移矢。現在は定住者はいない。●Отрада(オトラダ)‥日本名は近布内。国後島最北の集落。人口は142人。77%がロシア人。 ●Дубовое‥泊村大字泊村に所在。人口は565人で、74%がロシア人である。 ●Менделеево(メンデレーエフ)‥人口は40人。55%がロシア人。メンデレーエフ空港の開港のために泊村東沸付近に建設された。 ●Южно-Курильск(ユジノクリリスク)‥日本名は古釜布。南クリルの中心地で最大の都市。人口は7048人。 ●Головнино(ゴロヴニノ)‥日本名は植内。かつての泊村の中心地。人口は102人で91%がロシア人である。ロシア名はゴローニンの街の意味。