原宿セントラルアパート
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原宿セントラルアパート︵はらじゅくせんとらるあぱーと︶は、かつて東京・表参道にあった住宅・商業施設である。原宿地区にあって1960年代から1970年代にかけての若者文化を象徴する建物のひとつとして知られる[1]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5b/Illustrated_Harajuku_Central_Apartment_Tokyo.jpg/180px-Illustrated_Harajuku_Central_Apartment_Tokyo.jpg)
原宿セントラルアパートを描いたイラスト
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e4/Harajuku_centre.jpg/200px-Harajuku_centre.jpg)
ティーズ原宿
2005年︵平成17年︶11月
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/YM_Square_Harajuku_April_2011.JPG/140px-YM_Square_Harajuku_April_2011.JPG)
YMスクウェア原宿
2011年︵平成23年︶4月
ティーズ原宿︵t’s harajuku︶は、原宿セントラルアパートの跡地で1999年︵平成11年︶11月に開業した商業施設である[2]。これは、東武百貨店が所有する約2,057平米の敷地を竹中リアルティが約10年間の事業用定期借地方式で借り上げ、施設の企画、建物の設計・施工、管理計画、テナント誘致・契約、イベント開催、PR活動までを竹中工務店が行った事業であった[2]。
完成した建物は地上3階、地下1階建て延べ床面積は5,205平米、そのうち店舗面積は3,674平米で、総事業費は約20億円だった[2]。施設には、GAP︵ギャップ︶、ピッツア・エクスプレス︵PizzaExpress︶のほか、ソニープラザなど合計5店がテナントとして入居し、このうちギャップは店舗面積約700坪で日本最大の旗艦店であった[2]。また、3階に入居していたピッツア・エクスプレスは、ここが日本進出一号店であった[2]。
﹁ティーズ原宿︵t’s harajuku︶﹂の名称は、事業主である竹中工務店︵T︶や東武百貨店︵T︶、さらにtrendy︵トレンディ︶やthematic︵テーマ性︶といったコンセプトなど、関連する様々な﹁t﹂を表現したものだったという[2]。DJ T'sとは関係はない。
ティーズ原宿にはICSC 国際デザイン開発賞・最優秀賞をはじめ、グッドデザイン賞、東京建築賞優秀賞など、多数の受賞歴がある[2]。竹中リアルティによる借地契約は1998年︵平成10年︶11月からの11年8ヶ月間であり、施設は2010年︵平成22年︶1月に営業を終了、建物も同年中に解体された[2]。
青山・表参道地区において竹中工務店が総合プロデュースを行った類似事業としてはほかに、同じく原宿セントラルアパートの跡地の北側部分に竣工した﹁ワイ・エム・スクウェア原宿﹂や、港区南青山に完成したプラダの日本旗艦店﹁プラダ南青山﹂などがある[2]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/TOKYU_PLAZA_Omotesando_Harajuku.JPG/250px-TOKYU_PLAZA_Omotesando_Harajuku.JPG)
東急プラザ表参道原宿(2012年)
ティーズ原宿の跡地には2012年︵平成24年︶4月18日[3]、東急不動産を事業主とする新たな商業施設“東急プラザ 表参道原宿”が開業した。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5b/Illustrated_Harajuku_Central_Apartment_Tokyo.jpg/180px-Illustrated_Harajuku_Central_Apartment_Tokyo.jpg)
概要[編集]
所在地は東京都渋谷区神宮前4丁目で、表参道と明治通り交差点の北東角に位置していた。建物は地上7階、地下1階建てで、セントラル空調や給湯設備が備わり、電話交換室のほか、屋上には洗濯室が設けられていた。各部屋の電話は、全てがこの電話交換室を介しての内線電話となっていた。 初めは1958年︵昭和33年︶、米軍関係者など特別な人々を対象とした共同住宅︵アパート︶として完成した[1]。完成当時、所在地住所は東京都渋谷区穏田一丁目で、これが1965年︵昭和40年︶の住居表示施行によって神宮前4丁目に変わった。 昭和30年代後半になると、アパートは上層階に事務所、下層階に店舗が入居するという形態になった[1]。これに伴い、アパートにはカメラマン、コピーライター、イラストレーターなどのクリエーターが多数入居、ここに事務所を構えることが文化人のステータスとなった[1]。 また、1階に入居していた喫茶店 ﹃レオン﹄は、マスコミ関係者が多く集まることで知られた[1]。 アパートの地下には1973年︵昭和48年︶、ブティック街 ﹃原宿プラザ﹄が開業した[1]。﹃原宿プラザ﹄は一時、ロックミュージシャンなども訪れるアングラ的なマーケットとして原宿の名所となっていたが、1990年︵平成2年︶頃までには閉鎖された[1]。 アパート自体もその頃からはテナントの退出が進められて寂れ、1998年︵平成10年︶には建物が解体されて消滅した。ティーズ原宿[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e4/Harajuku_centre.jpg/200px-Harajuku_centre.jpg)
東急プラザ表参道原宿[編集]
関連項目[編集]
- 原宿のファッション史
- 東京セントラル表参道
- 東京セントラル代々木
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g 神宮前四丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会1994年12月25日発行 p50
- ^ a b c d e f g h i 竹中工務店 t's harajuku プロジェクトにおけるトータル・プロジェクト・マネジメント(総合プロデュース) 人材育成プログラム開発事業調査研究報告書 平成16年3月 特定非営利活動法人 プロジェクトマネジメント資格認定センター
- ^ “日本を代表する交差点に、東急不動産のリーディング施設が登場「TOKYU PLAZA OMOTESANDO HARAJUKU」“ここでしか”“ここだから”を集結した全27店舗 発表!~ 2012年4月18日(水)に開業!~”. 東急不動産 (2012年1月12日). 2012年1月28日閲覧。