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トロンボーン奏者の「薗田憲一」とは別人です。 |
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園田 健一︵そのだ けんいち、1962年12月13日 - ︶は、大阪府高石市出身[1]の漫画家、同人作家、イラストレーター、和菓子店店主。愛称は﹁ソノケン﹂﹁園やん﹂。銃器に造詣が深い作品が多い。
デザイン専門学校﹁なんばデザイナー学院﹂時代、同人作家として高校の漫研仲間と同人サークル﹁VTOL﹂を立ち上げ、精力的な同人活動を展開する。その頃、大阪の紀伊國屋書店梅田店でアルバイトをしていたこともある。自身の描く美少女キャラクターやメカニックが話題となり、模型店﹁ムサシヤ﹂の雑誌広告内カット、﹁ゼネラルプロダクツ﹂大阪店でのアルバイトがてら、グッズやポスターなどの商用イラストを手がけていた。その活躍がアートミックの柿沼秀樹の目に留まり、当時の新興模型雑誌﹃モデルグラフィックス﹄で連載された﹃ガルフォース﹄の企画に参加する機会を得る。この作品は園田の描くキャラクターやメカニックが人気となった後、アニメ化が決定する。それと同時に活動拠点を東京へ移して柿沼の薦めに応じてアートミックへ入社し、同社にて﹃ガルフォース﹄﹃バブルガムクライシス﹄﹃ウォナビーズ﹄などOVA作品のキャラクターデザインを手がける。﹃ライディングビーン﹄では、原作・監修・キャラクターデザイン・メカニック設定・絵コンテと幅広く手がけた。当時、プロの漫画家が30分以上におよぶ自らの原作アニメ作品の絵コンテを手がけることは珍しく、大友克洋による﹃AKIRA﹄や士郎正宗による﹃ブラックマジック M-66﹄と並ぶ稀な例である。また、ガイナックスの劇場用アニメ作品﹃王立宇宙軍 オネアミスの翼﹄にはゲストデザイナーとして参加しており、画面にほんの少し映る程度のキャラクターたちやメカ、売春宿のエントランス部分のデザインなどを手がけている。
平成以降は漫画執筆を創作活動のメインに据えるために独立し、現在に至る。
園田屋[編集]
1582年に創業した熊本市中心部にある和菓子店﹁老舗 園田屋﹂店主でもある。看板商品の朝鮮飴は、加藤清正が朝鮮出兵で保存食にしたとされる。21世紀に入り19代目を継いだ。自らも115年ぶりに新商品﹁れもん飴﹂開発を行い、パッケージイラストも手がけている[2]。なお園田自身が発行する同人誌シリーズ﹁朝鮮飴﹂の由来でもある。