城田じゅんじ
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城田じゅんじ | |
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出生名 | 城田純二 |
生誕 | 1949年12月30日(74歳) |
出身地 |
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学歴 | 京都産業大学法学部中退 |
ジャンル | |
担当楽器 | |
共同作業者 | ザ・ナターシャー・セブン |
公式サイト | 城田純二オフィシャルホームページ |
城田 じゅんじ︵しろた じゅんじ、本名・城田純二、1949年12月30日 - ︶は、日本のアイリッシュ・ミュージックの音楽家。かつてはギターおよびバンジョー奏者として、アメリカン・フォークやジャパニーズ・フォークの人物として活動していた。
略歴[編集]
静岡県生まれ。京都産業大学法学部中退。母からピアニストになるように教え込まれていたが、一身上の都合で転身。高石ともやとザ・ナターシャー・セブンの元メンバーとして、全国に名を知られるようになった。当時の芸名は城田じゅんじ。ナターシャーの前身である、バックステップ・カントリー・バンドの頃から高石と活動。1970年代を通してザ・ナターシャー・セブンとして活動していたが、メンバーの音楽性の方向性の違いによって1980年代に入りグループは活動停止。城田は坂庭省悟との活動は継続[1]しつつ、やがて活動の拠点をアメリカに移した。 本格的にアイリッシュ・ミュージックに取り組みはじめたのは1991年頃。アイルランド、クレア地方のトラッドを継承するアコーディオン奏者アンドリュー・マクナマラにその感性と技術を認められ、ギター奏者としてアイリッシュ・ミュージシャンの仲間入りをした。自らのアイディアによって結成したバンド﹁ジョディース・ヘブン﹂︵ジャック・ギルダー、デイル・ラスとのトリオ[2]︶は1997年、全米におけるケルティック音楽のCD部門でブロンズ・プライズを獲得︵﹁Jody’s Heaven[3]﹂︶。 以降、アンドリュー・マクナマラ、マーティン・ヘイズ、パディ・キーナン、ノエル・ヒル、トミー・ピープルズ、フランキー・ギャヴィン、トニー・マクマホン、ブレンダン・ベグリーなど、アイリッシュ・ミュージックにおける主要人物の伴奏者として活動する。毎年夏の音楽シーズンには、アイルランドに長期滞在。彼らとのセッションやコンサートを精力的に開いている。 2011年7月10日、京都・円山音楽堂で開催された﹁最後の宵々山コンサート﹂に、再結成したザ・ナターシャー・セブンとして登場し、高石らと一緒に演奏。2012年以降、高石と二人で﹁ザ・ナターシャー・セブン The next chapter[4]﹂と題してザ・ナターシャー・セブンの足跡を辿る音楽会を行っている。 元はピアニスト志望だったため、トルコ行進曲も余興で入れることができた[5]。ディスコグラフィー[編集]
代表的なソロアルバムは﹁Soft Shoes﹂︵東芝EMI︶。サブタイトルは﹁城田じゅんじ from THE NATARSHER SEVEN﹂[6]。 アイリッシュ・ミュージックのソロアルバムに﹁Music from Distant Shore﹂﹁From There to Clare﹂などがある。そのほか、内藤希花とのデュオでのアルバムとして﹁Keep Her Lit!﹂﹁Music In The Air﹂﹁The Rambler﹂﹁Through The Wood﹂など。 エア・ジャパン︵イーリアンパイプスのパディ・キ-ナン、フィドルのフランキ-・ギャビン、ギター&バンジョーの城田純二︶のCD﹁Eire Japan﹂を2015年に発売[7]。脚注[編集]
出典[編集]
(一)^ “◆坂庭省悟&城田じゅんじ / FIFTY-FIFTY LIVE”. poohyokocho.com. 2019年12月1日閲覧。
(二)^ “Jody's Heaven”. www.sfcelticmusic.com. 2019年12月1日閲覧。
(三)^ “Junji Shirota”. www.discogs.com. 2019年12月1日閲覧。
(四)^ “第3回 ザ・ナターシャー・セブン The next chapter”. www.livefans.jp. 2019年12月1日閲覧。
(五)^ “城田じゅんじ トルコ行進曲”. www.youtube.com. 2019年12月1日閲覧。
(六)^ “Soft Shoes - 城田じゅんじ from THE NATARSHER SEVEN”. img.snowrecords.com. 2019年12月2日閲覧。
(七)^ “エアー・ジャパンはイーリアン・パイプスのパディ・キーナン、フィドルのフランキー・ギャビン、ギター・バンジョーの城田純二によるトリオ。”. www.marekanaito.com. 2019年12月1日閲覧。