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大津皇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大津皇子
時代 飛鳥時代
生誕 天智天皇2年(663年
薨去 朱鳥元年10月3日686年10月25日
墓所 二上山墓(奈良県葛城市染野の二上山雄岳山頂付近北緯34度31分32.35秒 東経135度40分44.40秒 / 北緯34.5256528度 東経135.6790000度 / 34.5256528; 135.6790000 (二上山墓)))
位階 浄大弐
父母 父:天武天皇、母:大田皇女
兄弟 高市皇子草壁皇子大津皇子忍壁皇子穂積皇子長皇子弓削皇子磯城皇子舎人親王新田部親王
同母姉:大来皇女
山辺皇女
粟津王
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姿

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西


大津皇子に関する歌[編集]

  • 万葉集巻第2 105〜106番(姉の大来皇女に会うために伊勢神宮に下向した時に大来皇女が作った歌)
    • わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
    • 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
  • 万葉集巻第2 107〜109番(石川郎女との相聞歌)
    • あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに
    • 吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを
    • 大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し
  • 万葉集巻第2 163〜164番(処刑後、大来皇女が退下・帰京途上で作った歌)
    • 神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに
    • 見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに
  • 万葉集巻第2 165〜166番(二上山に移葬されたとき、大来皇女が作った歌)
    • うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む
    • 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに

辞世[編集]

和歌[編集]

  • ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
    「雲隠る」は「死ぬ」の敬避表現であり自身に用いることは奇異であるため、偽作との見方がある。ショスタコーヴィチが曲をつけていることでも知られる[注釈 1]

漢詩[編集]

金烏臨西舎 (金烏 西舎に臨み)
鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)
泉路無賓主 (泉路 賓主無し)
此夕誰家向 (この夕 誰が家にか向ふ)

[編集]

大津皇子 二上山墓
奈良県葛城市

343132.35 1354044.40 / 34.5256528 135.6790000 / 34.5256528; 135.6790000 (二上山墓)[2]