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大潮元皓

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 4161676219[1] - 58221768102[1][1]西[1][1]

生涯

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21712[1][1][3][4]

[]51768822[1]93[3]

伝説

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学成りて、江戸に出て、荻生徂徠と会合わせられしが、一日大学の一部を暗写して勝負を争そわれたりしが、師は音読直下の棒読みに達せられしを以って一字の誤りもなかりしが、徂徠は助字の一字を落したるにより徂徠の負けとなり、それより徂徠は漢文音読直下の読み方を採用したと主張せられしという。先代より「西に大潮、東に徂徠」と言うことを呼び伝えしとなり。(『伊万里浦郷氏伝』[要文献特定詳細情報]

親族

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  • 伊万里浦郷氏祖は 浦郷大内蔵介實住(伊万里浦郷氏家系図より) 伊万里城山主 後藤民部大輔惟明 家臣(伊万里浦郷氏家系図、西松浦郡誌(大正10年)より)
  • 大潮元皓の祖母の兄弟に、江戸時代前期の曹洞宗僧侶で 松雲宗融(しょううんそうゆう)がいる 「普門松雲禅師伝」 ( 『西溟余稿』文部二)
  • 大潮元皓の7歳年下の弟 浦郷安右衛門實友(法名一麟浄超居士) と母である鏡月元照禅尼、 その末裔の墓が佐賀県伊万里市円通寺にある ※( 『魯寮稿』九)若木太一 長崎大学名誉教授 訳より

著作

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  • 『松浦詩集』3巻
  • 『魯寮詩偈』1巻
  • 『文集』4巻
  • 『尺牘』2巻
  • 『西溟餘稿』3巻
  • 『明四大家文選鈔』3巻

脚注

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(一)^ abcdefghijk192020748-72doi:10.15017/4742091 

(二)^  1992312p 

(三)^ ab1992312p 

(四)^ 12015172p 

参考文献

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  • 『西松浦郡誌』大正10年(1921年)
  • 『肥前国鹿島藩 諸氏系譜集』[要文献特定詳細情報] 佐賀県鹿島市図書館 蔵
  • 川頭芳雄編『背振山栄西、大潮と売茶翁 佐賀県郷土史物語1』福博印刷
  • 『伊万里市郷土研究会会誌 烏ん枕 第94号』[要文献特定詳細情報]
  • 伊万里浦郷氏宗家・伊万里山代浦郷氏家伝[要文献特定詳細情報]