宋欽
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経歴
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後涼の太常卿の宗燮︵字は文友︶の子として生まれた。若くして学問を好み、儒者として河右で名を知られた。北涼の沮渠蒙遜に仕え、中書郎・世子洗馬となった。﹁東宮侍臣箴﹂を上書したほか、﹃蒙遜記﹄10巻を編纂した。
太武帝が涼州を平定すると、宗欽は平城に移り、臥樹男の爵位を受け、鷹揚将軍の位を加えられ、著作郎に任じられた。高允に手紙を書いて詩を贈り、高允も詩を返書すると、おたがいの詩の美しさが賞賛された。
450年︵太平真君11年︶、崔浩が処刑されると、宗欽も連座して処刑された。
弟の宗舒︵字は景太︶は、沮渠蒙遜に仕えて庫部郎中となり、宗欽とともに北魏に帰順して句町男の爵位を受け、威遠将軍の位を加えられ、名声は宗欽に次ぐものがあった。