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富士松紫朝
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"一代目藤松紫朝"
–
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NDL
·
dlib.jp
·
ジャパンサーチ
·
TWL
(
2022年9月
)
富
士
松
紫
朝
︵
ふ
じ
ま
つ
し
ち
ょ
う
︶
は
、
新
内
、
粋
曲
、
音
曲
、
都
々
逸
の
名
跡
。
本
項
で
は
初
代
富
士
松
紫
朝
に
つ
い
て
記
述
す
る
。
●
二
代
目
富
士
松
紫
朝
︵
1
8
6
0
年
1
月
25
日
-
1
9
4
3
年
2
月
5
日
︶
-
初
代
と
同
じ
く
九
州
出
身
で
盲
目
、
初
代
の
門
下
で
紫
好
斎
を
名
乗
り
、
初
代
が
引
退
し
た
の
と
共
に
二
代
目
を
襲
名
。
本
名
は
古
賀
城
武
。
●
三
代
目
富
士
松
紫
朝
-
1
9
3
6
年
5
月
に
富
士
松
佐
交
か
ら
三
代
目
紫
朝
に
な
っ
た
。
初代
富士松
(
ふじまつ
)
紫朝
(
しちょう
)
→富士松 紫翁
本名
佐藤 竹次郎
生年月日
1826年
6月19日
没年月日
(
1902-03-01
)
1902年
3月1日
(75歳没)
出身地
現在の
日本
・
福岡県
久留米市
師匠
初代富士松魯中
弟子
二代目富士松紫朝
家族
新内語り
表示
初
代
富
士
松
紫
朝
︵
ふ
じ
ま
つ
し
ち
ょ
う
、
1
8
2
6
年
6
月
19
日
-
1
9
0
2
年
3
月
1
日
︶
本
名
は
佐
藤
竹
次
郎
。
経
歴
[
編
集
]
九
州
の
久
留
米
出
身
。
盲
人
な
が
ら
安
政
年
間
か
ら
幕
末
・
明
治
の
初
年
に
か
け
て
初
代
富
士
松
魯
中
の
門
人
で
、
寄
席
で
新
内
語
り
と
し
て
人
気
を
得
た
。
後
に
弟
子
に
紫
朝
を
譲
り
、
自
身
は
紫
翁
と
な
り
久
留
米
に
隠
居
し
た
。
墓
所
は
久
留
米
市
妙
正
寺
。
三
遊
亭
圓
朝
の
﹁
朝
﹂
は
こ
の
紫
朝
に
ち
な
ん
だ
も
の
と
い
う
。
な
お
、
同
じ
新
内
の
名
跡
で
富
士
松
ぎ
ん
蝶
と
混
合
さ
れ
や
す
く
、
富
士
松
紫
蝶
と
表
記
さ
れ
る
こ
と
が
あ
る
。
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