コンテンツにスキップ

富永徳磨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

とみなが とくま


富永 徳磨
生誕 (1875-10-19) 1875年10月19日
日本の旗 日本大分県南海部郡佐伯町
死没 (1930-04-30) 1930年4月30日(54歳没)
日本の旗 日本東京府
国籍 日本の旗 日本
出身校 鶴谷学館
職業 牧師思想家
テンプレートを表示

  18751019 -1930430

[1]


生涯

[編集]

1875(8)18911894(27)

1901(34)1903(36)()()西

1907(40)6[2]191983[1]

1918(7)

1925(14)

神学

[編集]
  • キリスト教信仰の本質は、との合一の境地に至ることであると説いた。
  • キリストの霊を注ぎこまれて、人格を根底から変えられて生きるのが救われた者の生活であるとした。
  • 贖罪の意味を認めない。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 澤村修治『八木重吉のことば ことばよ、では行っておいで』理論社、2013年、p.149
  2. ^ 鵜沼裕子「富永徳磨」『日本キリスト教歴史大事典』p.596

著書

[編集]
  • 『基督教の根本問題』警醒社書店、1912
  • 『基督教の信仰』基督の徒雑誌社
  • 『基督再臨説を排す』警醒社書店
  • 『キリストの新精神』新教出版社 1970
  • 『天よりの火』1980年

参考文献

[編集]
  • 鵜沼裕子「富永徳磨」(『日本キリスト教歴史大事典』)教文館、1988年
  • 熊野義孝「富永徳磨の精神主義の神学」(『日本キリスト教神学思想史』)1968年