富本一枝
(尾竹紅吉から転送)
富本 一枝︵とみもと かずえ、1893年4月20日 - 1966年9月22日︶は、日本の明治時代〜昭和時代の画家、随筆家、婦人運動家。富山県富山市出身[1]。旧姓は尾竹一枝。筆名、尾竹紅吉︵おたけ こうきち︶。
経歴[編集]
日本画家尾竹越堂の長女として生まれる。夕陽丘高等女学校卒業、1910年に女子美術学校日本画選科に入学するが中退。平塚らいてうに心酔し、﹃青鞜﹄創刊翌年の明治45年︵1912年︶に青鞜社に入社、紅吉を名乗り、随筆や詩の執筆、また1周年記念号の表紙を担当する等、積極的に活動する。しかし、らいてうとの同性愛関係や、バーでの飲酒︵﹁五色の酒事件﹂︶、吉原遊廓の見学︵﹁吉原登楼事件﹂︶などがスキャンダルを呼び、﹁新しい女﹂の一人として批判され、10月には青鞜社を退社する。 同年4月、第12回巽画会展に初出品した﹃陶器﹄が三等賞を受賞、1913年第13回巽画会展に出品した﹃枇杷の実﹄が一等褒状を受ける。 大正3年︵1914年︶、森鷗外の支援を受け、純芸術雑誌﹃番紅花﹄︵さふらん︶を主宰創刊する。同年富本憲吉と結婚。共同で陶芸を制作する他、富本一枝の名で文芸活動を行う。憲吉との間には1男2女を儲けるが、昭和21年︵1945年︶には別居した。 戦後は書店を経営し、﹃暮しの手帖﹄に多くの童話を載せるなど、晩年まで執筆活動を続けた。童話は没後に﹃お母さんが読んで聞かせるお話﹄として暮しの手帖社から出版された。作品[編集]
- 「太陽と壺」 『青鞜』表紙 第2巻第4号
- 「アダムとイブ」 『青鞜』表紙 第3巻第1号
刊行本[編集]
脚注[編集]
- ^ 20世紀日本人名事典(コトバンク)