岡野昇
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経歴・人物
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東京市出身[2]。1899年︵明治32年︶東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、日本鉄道技師となり水戸保線事務所長を発令される[2]。1905年︵明治38年︶信号や連鎖装置の視察のため[3]欧米諸国の出張を経て[1]、翌年同社が解散すると逓信省鉄道作業局に転じ、ベルリンに学んだ[1]。ついで、帝国鉄道庁技師、鉄道院技師兼内務技師、鉄道院工務局長、鉄道省工務局長を経て、1924年︵大正13年︶鉄道次官に就任した[1][2]。
のち実業界に転じ、西武鉄道[注 1]副社長を経て、1926年︵大正15年︶同社社長に就任。ほか、秩父鉄道・理研工作機械各役員、鉄道会議議員、大阪市顧問、信号協会会長など要職を歴任した[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時の西武鉄道は、川越鉄道が改称した旧社で、後にこの西武鉄道を合併した武蔵野鉄道(合併後に西武鉄道に改称し、現在の西武鉄道の本流となる)からは傍系に当たる。
出典
[編集]参考文献
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●人事興信所﹃人事興信録 第4版﹄人事興信所、1915年。
●人事興信所﹃人事興信録 第8版﹄人事興信所、1928年。
●高橋裕、藤井肇男 共著﹃近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々﹄鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。