岩崎灌園
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岩崎 灌園︵いわさき かんえん、天明6年6月26日︵1786年7月21日︶ - 天保13年1月29日︵1842年3月10日︶︶は江戸時代後期の本草学者。﹃本草図譜﹄︵96巻︶の著者である。
江戸下谷、現在の御徒町に生まれる。名は常正、通称源蔵。父親は直参の徒士である。本草学を小野蘭山に学び、若年から本草家として薬草採取を行う。文化6年︵1809年︶に徒士見習いとして出仕した。文化11年︵1814年︶、灌園28歳の時、屋代弘賢編の﹃古今要覧稿﹄の編集、図版製作の手伝いを命じられる。文政3年︵1820年︶に小石川火除地の一部を貸与され薬種植場を設けた。著書に﹃本草図譜﹄﹃草木育種﹄﹃救荒本草通解﹄﹃日光山草木の図﹄などがある。
﹃本草図譜﹄のワサビ
﹃本草図譜﹄は20歳代から準備をすすめ20年をかけて作成され、文政11年︵1828年︶に完成した。これまでの本草書の図版が欠落していたり、精密さに欠けることに不満を感じた灌園が、自ら描いた2000種の図を集大成したもので、92冊からなり、李時珍の﹃本草綱目﹄にしたがって配列された。5巻から10巻は木版印刷して出版された︵1~4巻は﹃本草項目﹄が植物以外の薬の項目であるため5巻から始まる︶。その他は模写によって配布された。描かれた植物は自ら写生したもののほか、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァインマンの﹃花譜﹄からの転載も含まれた。