時実秋穂
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/33/Tokizane_Akiho.jpg/180px-Tokizane_Akiho.jpg)
時実 秋穂︵ときざね あきほ、1881年︵明治14年︶11月22日[1] - 1962年︵昭和37年︶1月21日[2]︶は、内務官僚、福岡市長、岡山市長、玉野市長。
経歴[編集]
岡山県邑久郡長浜村︵現在の瀬戸内市︶に時実惣次郎の長男として生まれた[3]。1907年︵明治40年︶7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]。同年に高等文官試験に合格し、翌年に岩手県事務官に任じられた[1]。その後、徳島県事務官・警察部長、愛媛県警察部長、島根県警察部長、茨城県内務部長を歴任した[1]。1919年︵大正8年︶、朝鮮総督府忠清南道知事に転じ、朝鮮総督府監察官を経て、1923年︵大正12年︶に京畿道知事に任じられた。 1926年︵大正15年︶に福岡市長に選出され、5年間在任した。在任中の1927年︵昭和2年︶には東亜勧業博覧会が開催された[4]。退任後は﹃京城日報﹄﹃毎日申報﹄﹃ザ・ソウル・プレス﹄各社社長を務めた。 1938年︵昭和13年︶に岡山市長に選出され、2年間在任した。その後、1942年︵昭和17年︶には玉野市長に選出された[5]。 戦後は公職追放となり[6]、瀬戸内海観光株式会社取締役[7]、就実学園長を務めた他、1952年︵昭和27年︶から1956年︵昭和31年︶まで玉野市教育委員長を務めた[8]。著書[編集]
- 『自治小言』(1919)
- 『京城後の二年』(1930)
- 『あけび』(1938)