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﹃最後の一句﹄︵さいごのいっく︶は、森鷗外の小説。1915年10月に﹃中央公論﹄に発表された。
あらすじ[編集]
元文3年︵1738年︶大阪の船乗り業桂屋の主人・太郎兵衛は、知人の不正を被る形で死罪となった。悲嘆にくれる家族の中で、長女のいちは父の無罪を信じ、単身、大阪西町奉行佐々又四郎に助命の願書を出し、父の代わりに自身と兄弟たちを死罪にするよう申し立てる。少女の大胆な行為に背後関係を疑った奉行は、大阪城代に相談、女房と子供たちを白洲に呼び寄せ、責め道具を並べて白状させようとする。
白州で佐々は一人一人に事情を聞くが、いちだけは祖母の話から事情を聞き父の無罪を確信したこと、自身を殺して父を助けてほしいことを理路整然と答える。なおも、﹁お前の申立には嘘はあるまいな﹂と佐々が拷問をほのめかして尋ねても、いちは﹁間違はございません﹂と毅然と答え、なおも、お前の願いを聞いて父を許せば、お前たちは殺される。父の顔を見なくなるがよいか。との問いに、いちは冷静に﹁よろしゅうございます﹂そして﹁お上の事には間違はございますまいから﹂と付け加えた。この反抗の念をこめた最後の一句は役人たちを驚かせるが、同時に娘の孝心にも感じさせられることになった。そして太郎兵衛は、宮中の桜町天皇大嘗会執行を名目に死罪を免れるのであった。
原作は太田蜀山人の随筆﹁一話一言﹂で、鴎外がアレンジを施した。題名となった、いちの﹁お上の…﹂の言葉は原作にはなく、鴎外の創作である。この作が執筆されたのは1913年9月17日であるが、その前日、鴎外は新聞記者に陸軍の引退を表明している︵予備役発表は1914年4月13日︶。当時鴎外は軍内でも孤立しており、﹁老来殊覚官情薄﹂という漢詩を作るなど不満が蓄積していた。そんな思いが、作中におけるいちの官僚批判の一句として表されている。この作に見られる批判の姿勢はこの後の﹁高瀬舟﹂にも受け継がれていく。
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