本間貞樹
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本間 貞樹︵ほんま さだき、1953年6月4日- ︶は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手[1]。現役時代のポジションはフォワード[2]。
経歴[編集]
釧路市立鳥取中学校でアイスホッケーを始めた[1]。釧路第一高等学校を経て、日本アイスホッケーリーグの王子製紙アイスホッケー部に入団した。 1979年、リーグ1位タイの17得点、13アシストをあげてウラジーミル・シャドリンに次ぐリーグ2位の30ポイントをあげて初めてオールスターチームに選ばれた[3]。 1981年には40得点、21アシストをあげて最優秀選手に選ばれている[4]。 1984年には前人未到の200得点[5]、通算歴代最多の287得点をあげた︵この記録は2004年に杉沢明人に更新された。︶。 アイスホッケー日本代表としても1976年のインスブルックオリンピック、1980年のレークプラシッドオリンピックやアイスホッケー世界選手権に出場した。 2000年に苫小牧市スポーツマスターに選ばれた[6]。 2006年王子製紙アイスホッケー部︵2008年より王子イーグルス[7]︶の強化部長に就任した[8]。2007-2008年シーズン、14シーズンぶりに優勝[9]、2010-2011年シーズンレギュラーシーズン1位、2011-2012年シーズンもレギュラーシーズン1位、プレーオフでも6勝1敗で優勝している[10]。 札幌市での2008年アイスホッケー世界選手権では解説を務めた[11]。脚注[編集]
(一)^ abYuuki Yamada. “Honma Sadaki”. 2012年5月20日閲覧。
(二)^ “苫小牧市スポーツマスター本間貞樹氏が技術指導 小学生アイスホッケー教室開く”. 苫小牧民報 (2011年10月31日). 2012年5月20日閲覧。
(三)^ “The Oct.20.1979-Dec.02”. 日本アイスホッケー連盟. 2005年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月20日閲覧。
(四)^ “The 16th Standings”. 日本アイスホッケー連盟. 2005年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月20日閲覧。
(五)^ アイスホッケーマガジン 1984年No.2 本間貞樹 前人未到の200ゴール達成 ベースボールマガジン社
(六)^ “苫小牧市スポーツマスター制度について”. 苫小牧市. 2012年5月20日閲覧。
(七)^ “チーム名称変更についてのお知らせ 新チーム名﹁王子イーグルス﹂”. 王子製紙 (2008年7月29日). 2012年5月20日閲覧。
(八)^ “アイスホッケーの新時代-氷都苫小牧の現状と課題-(5)”. 苫小牧民報 (2007年). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月20日閲覧。
(九)^ “2008 この一年 (5)”. 苫小牧民報. 2012年5月20日閲覧。
(十)^ “王子イーグルススタッフがアイスホッケーアジアリーグ優勝を苫小牧市長に報告”. 苫小牧民報 (2012年3月28日). 2012年5月21日閲覧。
(11)^ 林和人 (2008年4月17日). “怒︵2008/4/17︶”. 北海道テレビ放送. 2012年5月20日閲覧。
外部リンク[編集]
- 本間貞樹 - Olympedia