松井信薫
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松井 信薫︵まつい のぶしげ、? - 享禄元年︵1528年︶2月︶は戦国時代の武将。通称は左衛門尉・兵庫亮・山城守など。松井貞宗の子で、遠江松井氏の嫡流を継ぐ[1]。今川氏の譜代の家臣。遠州二俣城主。
駿河・遠江守護職かつ戦国大名の今川氏に属し、永正11年︵1514年︶に松井氏として初めて遠州二俣城主となる。享禄元年︵1528年︶2月3日︵旧暦︶、病没。嫡子に宗親があったが、弟の松井宗信が信薫死後にその家督を継ぐ。存命中に曹洞宗天竜院を創建したが、死後は同寺に埋葬された︵同寺は2003年3月に焼失︶。法名、天竜院殿心応正前大居士。