松本強
表示
人物
[編集]
大正15年に所沢陸軍飛行学校第20期操縦学生を修了し、のち陸軍士官学校と陸軍航空士官学校で学び、陸軍少尉候補者第10期を修了。昭和6年3月に陸軍航空兵少尉に任じられる。
昭和19年、南方戦線のフィリピンに赴き第32教育飛行隊隊長の任務に努めた。
戦後は公職追放となり、妻の実家がある四国の山奥で家族と炭焼きをして過ごした[2]。
子には漫画家の松本零士と、工学者の松本將がおり、零士の作品﹃宇宙戦艦ヤマト﹄の艦長沖田十三は強がモデルである。
経歴
[編集]
●1926年︵大正15年︶4月26日 - 所沢陸軍飛行学校第20期操縦学生修了[3]。
●陸軍士官学校と陸軍航空士官学校で学び[4]陸軍少尉候補者第10期修了。
●1931年︵昭和6年︶3月11日 - 任 陸軍航空兵少尉[5]・補 飛行第四連隊付[6]。
●1944年︵昭和19年︶ - 第32教育飛行隊隊長[7]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
- 外国勲章佩用允許
家族
[編集]脚注
[編集]
(一)^ ﹃現代物故者事典 1980〜1982﹄日外アソシエーツ、1983年、299頁
(二)^ マグミクス
(三)^ ﹃官報﹄第4108号﹁彙報-陸海軍-学生退校﹂1926年5月6日。
(四)^ ウィズニュース
(五)^ ﹃官報﹄第1258号 ﹁叙任及辞令﹂p251二段目 1931年3月12日。
(六)^ ﹃官報﹄第1258号 ﹁叙任及辞令﹂p273最上段 1931年3月12日。
(七)^ 文春オンライン
(八)^ ﹃官報﹄第1290号﹁叙任及辞令﹂1931年4月21日。
(九)^ ﹃官報﹄第2136号﹁叙任及辞令﹂1934年2月16日。
(十)^ ﹃官報﹄第3686号﹁叙任及辞令﹂1939年4月21日。
(11)^ ﹃官報﹄第4480号・付録﹁辞令二﹂1941年12月12日。
(12)^ ﹃官報﹄第3037号﹁叙任及辞令﹂1937年2月19日。