松村又一
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経歴
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奈良県高市郡明日香村出身。
旧制畝傍中学校中退。
若き頃は、家業の農家を継ぐが、その傍ら歌人前田夕暮に師事し、﹁詩歌﹂同人としても活躍。
同誌解散後は詩に転じ、詩話会会員となる。
1927年、上京し文筆活動を始める。作詞家として、その才を認められ、コロムビアレコードに入社。
﹃ツルレコード昭和流行歌物語﹄︵菊池清麿・著/人間社/樹林舎︶によれば、コロムビア以外にポリドール、ビクター、オリエント、タイヘイ、ツル、ニットーなどで作詞をしている。
しかし、なかなかヒット曲には恵まれず、キングレコードに移籍。
1939年、上原げんと・岡晴夫と組んだ﹁国境の春﹂がヒット。
戦後は、林伊佐緒﹁麗人草の歌﹂がヒットするが、日本マーキュリーレコードの創設とともに同社に移籍。
野村雪子の初ヒット﹁初恋ワルツ﹂や、マーキュリーに移籍してきた岡晴夫の作品、新人の遠藤実が作曲し藤島桓夫が歌って大ヒットした﹁お月さん今晩わ﹂、﹁凧々あがれ﹂などマーキュリー黄金時代を築き上げた。
その後、東芝レコードの設立と共に移籍した。
詩作も多く手がけ、﹁日本詩人﹂、﹁私達﹂、﹁雲﹂、﹁詩人連邦﹂等に発表し、農民詩の草分的存在であった。
詩集には、﹁畑の午餐﹂、﹁野天に歌ふ﹂、﹁漂泊へる農夫﹂、﹁日本の母﹂、民謡集に、﹁一つ蓑﹂、﹁風と鶇﹂がある。
1990年には長年の功績を称え、第32回日本レコード大賞功労賞受賞。
1992年9月30日死去。享年94。
代表作
[編集]- 『走れトロイカ』(昭和6年10月)[森義八郎作曲、歌:藤山一郎]
- 『想い出のブルース』(昭和13年10月)[服部良一作曲、歌:淡谷のり子]
- 『国境の春』(昭和14年2月)[上原げんと作曲、歌:岡晴夫]
- 『戦場の母』(昭和14年6月)[守木八郎作曲、歌:岡晴夫]
- 『戦場撫子』(昭和15年11月)[江口夜詩作曲、歌:青葉笙子]
- 『少年兵を送る歌』(昭和19年3月)[林伊佐緒作曲、歌:鬼俊英、井口小夜子、宮城しのぶ、小西信義、谷田信子(富士音盤)]
- 『麗人草の歌』(昭和24年2月)[加藤光男作曲、歌:林伊佐緒]
- 『椿咲く径』(昭和29年6月)[豊田一雄作曲、歌:東海林太郎]
- 『初恋ワルツ』(昭和29年9月)[飯田景応作曲、歌:野村雪子]
- 『夢のフランス航路』(昭和29年9月)[飯田景応作曲、歌:岡晴夫]
- 『途中下車』(昭和29年9月)[島田逸平作曲、歌:岡晴夫]
- 『東京の横顔』(昭和29年10月)[飯田景応作曲、歌:岡晴夫]
- 『若いときァ二度ある』(昭和29年10月)[豊田一雄作曲、歌:岡晴夫]
- 『ひょっとこ踊り』(昭和31年6月)[飯田景応作曲、歌:鈴村一郎、青葉笙子]
- 『お月さん今晩は』(昭和32年4月)[遠藤実作曲、歌:藤島桓夫]
- 『アイヌの子守唄』(昭和32年8月)[島田逸平作曲、歌:東海林太郎]
- 『アンコなぜ泣く』(昭和32年9月)[遠藤実作曲、歌:藤島桓夫]
- 『凧々あがれ』(昭和33年2月)[遠藤実作曲、歌:藤島桓夫]
- 『かつおぶし』(昭和55年5月)[稲沢祐介作曲、歌:さくらと一郎]