林湖
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経歴
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1920年、日本統治時代の朝鮮に生まれた。高麗大学校経営大学院を修了後、1973年2月27日に行われた第9代総選挙に無所属で大邱地区より立候補して当選し、国会議員となった。その後も1978年12月12日に行われた第10代総選挙に無所属で大田地区より立候補して当選し、国会議員を務めた。また、そのほか全国大学排球︵バレーボール︶連盟の会長、興亜タイヤ工業専務、世界通信社副社長、国民大学財団常務理事などの政界や団体の要職を務めた。また、第13代総選挙にも出馬する意向があったという[4]。
1988年3月30日、当時64歳の林は家を出た後、木浦発済州行のカーフェリーで失踪し、行方不明になった。遺体がないまま、四十九日となる同年5月19日に葬儀が行われた[4][5]。
脚注
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(一)^ “자료일람 | 한국사데이터베이스”. 韓国史データベース. 2023年9月28日閲覧。
(二)^ “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年2月4日閲覧。
(三)^ “(39)평택 임씨(平澤林氏)-210,089명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月26日). 2022年8月16日閲覧。
(四)^ ab“前(전)의원 林湖(임호)씨 행방불명 두달”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1988年5月19日). 2022年8月7日閲覧。
(五)^ “林湖(임호)전議員(의원) 실종49일 屍身(시신)없이 葬禮式(장례식)거행”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1988年5月20日). 2022年2月7日閲覧。