沁州
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沁州︵しんしゅう︶は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の山西省長治市西部に設置された。
隋代[編集]
596年︵開皇16年︶、隋により潞州が分割され、沁州が置かれた。605年︵大業元年︶、沁州は廃止され、その管轄県は潞州に編入された。607年︵大業3年︶に州が廃止されて郡が置かれると、潞州は上党郡と改称された[1]。617年︵義寧元年︶に上党郡が分割されて義寧郡が置かれた。隋代の行政区分に関しては下表を参照。隋代の行政区画変遷 | |
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開皇16年 沁州 |
義寧元年 義寧郡 |
沁源県 | |
義寧県 | 和川県 |
銅鞮県 | |
綿上県 | |
安沢県 | - |
唐代[編集]
618年︵武徳元年︶、唐により義寧郡は沁州と改められた。742年︵天宝元年︶、沁州は陽城郡と改称された。758年︵乾元元年︶、陽城郡は沁州の称にもどされた。沁州は河東道に属し、沁源・和川・綿上の3県を管轄した[2]。